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参加者からの寄稿文






イダヒロユキの個人的感想 (イダヒロユキ)


(一部、趣旨を逸脱しない範囲で05年11月段階の各文章に語句の加筆・修正・修飾などを行っています。また新たに表題をつけました。)

05年11月3日の状況
:「大峰山に登ろうプロジェクト」に関して(その1)

イダヒロユキ (11月4日記)


                       
すでに新聞報道を見られたかもしれませんが、11月3日、「大峰山」にいってきました。こちら側は35名程度の参加者でした。しかし新聞報道では、昨日の状況について私の捉え方とかなり違うまとめ方をされているところがありました。そこで、私個人の責任で、簡単に11月3日の状況の報告をしておきたいと思います。
詳しくは、後日まとめる予定ですし、実行委員会としてのまとめなり、意見も出す予定ですので、これは暫定的な個人的まとめです。

先ず、いくつかの新聞報道で「地元住民約100人と議論した結果、登山中止」「大峰山登山口にらみ合い 団体と地元 女人禁制議論物別れ」「話し合ったが、物別れ・・」「地元の住民ら約50人が登山を取りやめるよう説得にあたった」「地元住民らが引き上げたため、グループ側も今後も話し合いを継続するとして納得」「説得応じ大峰登山中止」といったような表現がみられました。

   しかし、私の認識では、「議論や話し合い」は事実上していません。「説得に応じた納得」もしていません。「にらみ合い」でもなかったと思っています。でも、新聞記者の方にこのように書かれたという意味で、このように伝わったのだと思いますので、ここで説明させていただきたいと思います。

私が捉えた事実は、地元の洞川(どろがわ)地区信徒総代、桝谷源逸(ますたに・げんいち)区長が、「先人から受け継いだ伝統や生活がある。地元の心情を理解してほしい」と登山中止を一方的に求めただけで、「今日は話し合いはしない、質問書にも答えない、そちらの言い分を聞くこともしない」という姿勢を一貫して示していたというものです。

私たちが、「話し合いをしたい、そちらの方々の普通の人、とくにここに来ておられる女性の方の意見や気持ちを聞きたい」といっても、「いや、今日は私だけが代表として話すし、他の方は話しません」と拒絶されたと受け止めています。

そして、私が「ここに来ている性的マイノリティ(少数派)の人たちや女性の人など参加者個々人の思いを聞いてください」といっても「いや、聞きません」と拒絶されたとおもいます。呼びかけ人の他の方からいくつかの質問を出しても、それを契機に議論に入っていくようなことはほとんどなく、浅いやり取りで止められてしまいました。

その入り口でのやり取りの中で、「何を基準に男女を分けるのですか」「女人禁制を続けるに当たって、みなの意見を聞いたのですか」というような話は少しはできました。そこでは、8対2ぐらいの割合で「女人禁制」維持派が多いという感触を得ている、との返答はありました。
そういうやり取りは結果として少しできましたが、話し合いはしないという拒絶の中で、最後まで、こちらの言い分を聞くという時間はとられなかったと思います。

そしてほとんど話も深まらないまま、多くの時間は、区長が一方的に言い分を話すのを私たちたちは黙って聞いていました。すこし口を挟みましたが、まずは相手に話してもらうのをさえぎらないでおこうと思ったので、言葉をさえぎってこちらの言い分を話すのでなく、聞いていたのです。論争して論破することが目的ではなかったからです。そしてその中で、「今日は無理やり登りたいのではなく、ここで話し合いたいのです」と何度かいって、こちらの参加者の一人一人の声を聴いてほしいと何度かいったのですが、それは一切拒絶され続け、そして30―40分ぐらいたった時点だったかとおもいますが、区長が、「私たちはとにかく登らないでほしいということは伝えました。後はあなたたちが登るのを実力でとめるようなことはしません」との旨の発言をして、「さえ、皆さん、引き上げましょう」といったようなことを言って、地元住民みながいっせいに帰り始めたのです。

私(たち)は、これから話をしたい、まだ私たちの思いは何もいっていないし、地元の方々個々人の思いも何も聞いていないという思いでしたので、「待ってください、話し合いましょうよ」と口々にいったのですが、一切無視されました。最初から、強行的に帰るという、そういうやり方が決められていたようです。

そしてその帰るときに地元に住む女性たち(一部男性たち)がいっせいに、「登らないで下さい」「お願いします」「お願いします」「お願いします」と声を上げて、それだけで帰られました。そのなかにおひとり(?)涙ぐんでおられる方もいらっしゃったので、新聞には「涙ながらに訴える人もいた」というように書かれていました。

こうした状況の全体を「話し合い」というのでしょうか。「説得に応じて登山を中止した」というのでしょうか。

ここで、今回のプロジェクトの私の意図を説明しておきたいと思います。一部誤解があるようですが、私たち実行委員会は、大峰山に何がなんでも登るということが第一目標だったのではありません。すでに過去、女性たちは多く登っています。登ること自体が目的ではないので、登ろうとする勢力と、登らせないとする勢力の「にらみ合い」でもなかったのです。
今回は、性的マイノリティの視点を組み込んで先に質問書を郵送し、その質問に答えてもらう中で話をしたかったのです。気持ちの聞きあいをしたかったのです。
事情をよく知らない方の中には、「そんな場所に押しかけてそこで話をするというのでなく、もっと別の場所で話しあいの場がもてなかったのか」とおもう方がいるようです。

しかし、さきごろ出版された源淳子編著『女人禁制Q&A』」(解放出版社)に書かれているように、過去さまざまなやり方で話しあいが求められてきたのですが、それが行き詰まっている状態なのでした。地元住民一人一人の生の声が聴けない状況が続いてきたのです。
そうした流れの中で、今回は、今までのグループとは違ったメンバーが、違った角度から、問題提起をしたのです。そしてその話し合いも、どこかの会議室で代表(リーダー、ほとんど男性)というような人が数人集まって話すのではなく、まさに、「女人禁制」という結界門の前で、その場の雰囲気の中で、普通の人同士が、とくに女性も性的マイノリティの人も参加して、心をひらいて、お互いを知ろう、そうすれば、敵対的状況にすこし突破口が開けるかもしれない、とおもったのです。
しかも、そのとき、トランスジェンダーの方からの「私は戸籍は男ですが、自分のことは女性とおもっています。私はとおってはいけないのですか」という問いを真摯に受けとめて考えていただきたいとおもったのです。

集団で押しかけ、集団の力で無理やり押し切って通過するというようなことが目的ではなかったのです。青空の下での話しあいというようなスタイルは、日本ではなじみがないかもしれませんが、密室よりもいい点がたくさんあるようにおもっています。リーダー任せではなく、下からの民主主義的な話し合いのイメージです。

上記した本にも書かれていますし、今回、主にお話をされた区長さんや個人的に意見を聞いた方もそうですが、「大峰山」の「女人禁制」を維持しようと思っておられる方々は、「女人禁制」廃止を求める人たちやフェミニストや今回のグループの人のことを「私たちの地域に土足で入り込んでくるひどいやつらだ」というニュアンスで捉えられているようなのです。
でも、実は、開放派のひとりひとりがどういう思いでそういっているのか、聴いていないのです。そして聞いてもらえる場所作りもこれまで否定されてきたのです。そういう中での「対立」が続いてきたのです。
だからこそ、今回は、あの場所(現場)で、ワークショップのようなカタチで、みながお互いを知る、異なった意見の人を知り合う、相手の人たちは、どのような人で、どのような思いなのかを知るというようなことをしたかったのです。そうすれば、相手を知らないまま怖がったり迷惑とおもったり、罵倒したり、嫌ったりすることが少しは減るのではないかと思ったのです。だって、今回参加した一人一人は、「人権人権と叫んで、相手の迷惑も考えないエゴイスト」などではないのですから。そのことを知ってほしかったのです。

しかし、その願いは、拒否され、「話し合いはしない、意見は聞かない」という姿勢で、一方的に区長のみで対応されたのです。多くの地元住民の人は、依然として、開放を求める人を、以前のように捉えたまま帰られてしまったのです。

問題の本質のひとつはここにあります。
民主主義的に話し合うというのは簡単ですが、実はとても難しいことです。異なるものが、多様性を尊重しつつ、妥協点を探ったり、共存の道を探るというのは、難しいことです。その難しいことをはじめる第一歩として、相手に色眼鏡をかけてはじめから「敵」だとみなさずに、先ずは聞いてみよう、平和的に話し合おうということが、多様性尊重の民主主義だと思うのです。

その狙いを拒否し、相手にひどい人たちだというレッテルを貼り、何も聞かずに言いたいことだけ言って去っていくという姿勢にこそ、この「女人禁制」をめぐる問題の問題点があります。「女人禁制の大峰山を守ってきた地元の信仰や心情を無視せず、どうか理解ある行動をしてほしい」といいつつ、相手側を無視し、相手を理解しようとはしない。そしてそのことに問題を感じていない。そういう対応だったのです。

ですから、区長があとで新聞記者の方に「我々の立場、心情を理解していただけたものと思っている。数人が山に入られたのは非常に残念」と答えたことには、悲しみを覚えます。(本当にそう答えられたのかどうか、正確なところはわかりませんが。)この人は、自分たち地元民の今日の行動自体が、双方の立場、心情を理解する道を閉ざしているのだということがわかっていないのだとわかったからです。35名の参加者の心情をまったく聞くことなく、聞くことを拒絶し、地元住民個々人の声、とくに女性の声を出すことも事実上禁じて、どうして深いところで心情をお互いが理解できるでしょうか。対立が解けて、問題の解決に至るでしょうか。対立を作っているのは誰なのでしょうか。

何度も頭を下げて「お願いします」「お願いします」と連呼される姿にはもちろん感じるものがありました。この方たちは、本当にそう思っているのだろうと思いました。でも、開放を求める相手側の声を一言たりとも聴かずに、「お願いします」といって帰っていくという自分たちの姿勢に、相手を少しは理解したい、理解しあい、仲良く解決の道を探りたいという思いがあったでしょうか。私には感じられませんでした。その意味で、そういう姿勢そのものが、「女人禁制」というものを維持する感性なのだと私は思いました。

男性区長が一人話し、あとは個々人の発言はない。命令のもと、いっせいに帰る。
そうしたところに、ひとりひとりが自分の頭で考えていくという姿勢はあるのでしょうか。
「女人禁制」問題の「解決」とは何でしょうか。「女人禁制」の撤廃を求める人がいなくなることが、解決なのでしょうか。「差別ではない、区別だ」といわれますが、まさにそこをめぐって、話し合いが必要なのに、「相手の意見は聞きません、差別ではありません」と繰り返し叫ぶことで、どうして、理解してもらえると思えるのでしょうか。

この文章を読んでいる方々には、この点を考えていただきたいと思っています。
以上、経過の説明と私の見解を思いつくまま書きました。
私の思い違いもあるかもしれません。

ただし、成果もありました。
「大峰山」側の方が一方的に帰られたあと、私たち参加者グループはその場で話し合いを持ちました。そこで出た意見の多くは、今後、話し合いの場を持つことを「大峰山」側が約束したのだから、今日はあえて登ることはせずに、ここで解散しようというものでした。
登ったことで、地元の人たちが「やっぱりひどいやつらだ」とおもって、今後の話し合いの場自体がなくなるのは望むことではないという思いが多くの人のなかにありました。ですからそこで解散となったのです。
(その後、個人的に数名の方が入っていかれたということですが、それは個人の判断です。私個人は、山に入る人がいるのも、それはその人の思想の表れで、そうした人も含めて話し合いが行われていけばいいと思っています。考えが異なる人がいるのは前提ですから)

私たちにとって、うれしかったことの一つが、一人の地元の女性が、みなが帰ったあとに一人残って、個人的に質問にきてくださったことでした。彼女は、今、自分で、「女人禁制」は差別なのか、単なる区別なのか、考えているとのことでした。彼女は、私たちに「ふざけてやっている人はいないのですか」とか「今日、登るのは私はよくないとおもいます」とか、ちゃんと自分の思いや質問をいってくださいました。ですから少し話し合いができたのです。こちらのグループからもいくつか質問が出ました。それは考え方は違っても、理解していこうとする対話の始まりの光景でした。
しかしそれが10分弱続いたころでしょうか、地元のある男性が「親御さんが向こうで呼んでるから・・」と彼女のところにきて、彼女を連れ戻していきました。私たちたちのそのときの思いを察していただきたいと思います。彼女の今後を私たちの多くは心の中で想像しました。
彼女の存在、彼女の行動、そして呼び戻しに来た男性の行動が表していたことは何だったのでしょうか。

その他、話し合いまでには至らなかったものの、私たちの一人一人の顔、話し方を少しみてもらったことで、「この人たちは鬼のようにひどい人たちだ」、というようなまったく知らないままの誤解は少しは減っただろうと思います。

解散のあと、地元の人と個人的に少しは話せる機会も偶然もてました。私たちと実際話をされた方は、こいつらも人間なんだと認識してもらえたのではないかと思っています。

また区長さんが、関係諸団体全部が開放というまでは開放しないとおっしゃいましたので、それなら逆に言うと、今後、内部でも話し合いを重ね、過半数を超えればその団体は開放派に転じ、それが全団体になると、「女人禁制」の伝統も変更するのだというのだということがわかりました。つまり、永遠不変の伝統ではなかったのです。
事実、内部では、1年中「女人禁制」ではなく、1年のうち、修行の時期を終えたら、一般の男女に開放する時期も設けてはどうかというような意見もあるそうです。

その他、「女人禁制」をやめると、日本で唯一の「女人禁制」の山という優位性が消えてこの地域が廃れるといった心配もあるようです。こちらからは最後に、世界遺産になったなかで、発想を転換されて、多くの男女が来る地域にしていくことで栄えていくのではというような意見もでました。

まだまだ論点はありますが、11月3日において、「大峰山」側の言い分になんら質問や反論をする時間は持てませんでした。
そのため、今後、ウェブ上などで、こちら側の意見をのべて、議論をしていき、話し合いの場の議論の質を高めることをしていきたいと考えています。区長には、『女人禁制Q&A』の本も渡しました。この後の議論は、この本に書かれていることも踏まえて、話し合っていきたいと思っています。

取り急ぎ、11月3日の状況を、私の視点からまとめておきます。
   以上


(06年1月31日追記)
ある参加者が、11月3日解散した後、帰りに立ち寄った陀羅尼助やさんで、さっき参加していたという店の人(女性)に話しかけると「、いきなり撤収には変な気がした。話しあってもいいと思った」といわれたそうです。
ただし、その人は続いて「でも帰るとき、そこにいた人から『大阪にも入れたらへんぞ』みたいなヤジをいわれた時には、あの場で話し合わなくてよかったという気持ちになった」といったそうです。
私は、今回のプロジェクトに参加した者たちが「大阪にも入れたらへんぞ」などというはずはないとおもっています。ですからこれは何かの誤解です。誰がそのようなことを言ったのでしょうか。それとも聞き間違いでしょうか。いずれにせよ、その地元の陀羅尼助やさんの女性に対しては、誤解を解いていきたいと思います。そして、そのようなことを言うはずがない人間たちなのだと分かっていってもらおうと思います。

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何を目的としたプロジェクトだったのか
:「大峰山プロジェクト」に関して(その2)
イダヒロユキ
(11月7日記)

あの場では無理だったか?
11月3日の女人結界門の前という、あの場が「最初から敵対的雰囲気であったではないか、だからあそこでのワークショップ的友好的な話し合いは最初から無理だった」という意見があるかと思います。

しかし、では、いったいどこに、敵対的でない、話し合いの場所や雰囲気があったというのでしょうか。この世の中は女性差別にあふれており、そのことを指摘すれば10倍の声で、それは差別じゃない、伝統を守れと反撃がきます。この「大峰山」問題でも、はじめから「女人禁制」開放を求める人々には偏見が付きまとっており、ひどいやつらだというレッテルが貼られていて、話し合いをして相互理解を探っていこうとする場はどこにも設けられていません。2004年に「世界文化遺産登録にあたって『大峰山』の『女人禁制』の開放を求める会」が開放賛成の署名を集めて提出したあとも真摯な話し合いの場は設けられていません。6年ほど前に実際に登った女性のことが報道されると、激しいバッシングがありました。
また性的マイノリティは、その存在さえも無視されたり揶揄されており、まともにあつかってこられなかったのです。「女人禁制」ということの前で、誰がどういう思いで悲しく思うのかということに、耳を傾ける雰囲気は、この世には、ほとんどなかったのです。

後にもう少し詳しく紹介しますが、今回のことでも、5つの護持院は事前に送った質問書に答えようとさえせず、最初から相手にしない、ただ登山中止を求めるという問答無用の姿勢の返答をしてきており、それを受けて、地元の人々(その代表)は、11月3日最初から聞く耳をもたずに臨んで来ました。今回の報道のあとでも、インターネット上で、今回のパフォーマンスに対して、よく事情も知りもしない人々が、悪意の言葉を投げつけ、ものすごいバッシング状況です。女性憎悪、フェミニズム憎悪、フェミへの無理解は、事実としてたくさん存在します。

 これは何を意味するのでしょうか。大峰山「女人禁制」開放について、開放を求める人であるとかフェミニストというだけで、多くの人が、敵対的対応をとっており、話し合いを模索していこうとする雰囲気はほとんどないのが現状であるということではないでしょうか。

それに対し、今回のパフォーマンスにおいて、あの場で、友好的とまでは行かなくとも、先ずは相手の顔を見て、言い分を少しでも聞いていくということは可能だったのです。
ところがそのチャンスをみすみす潰し、敵対的雰囲気にしたのは、誰だったのでしょうか。誰が最初から問答無用の姿勢だったのでしょうか。登山プロジェクトを企画した私たちは、「地元の人の意見などどうでもいい、とにかく登るんだ」などという姿勢ではありませんでした。あの場で話し合いをしたかったのです。

私個人は女性が登るのは何も悪いことだとは思っていません。「女人禁制」はやめたらいいとおもっています。ですから、登ろうとおもってあそこにいくこと自体が悪いこととも思わないのです。しかし、それを嫌がる人がいる。反対の人がいる。そのこともわかっているからこそ、質問状を出し、そこで考えの異なる人々(異文化の人々とも言えるでしょう)が出会い、話し合ってみたかったのです。けんか腰ではなく、穏やかに。静かに。

説得されたのか?

一部新聞には、登山中止を説得されて、グループは納得したので登山を中止したというような趣旨の報道がありました。しかし、前稿に書いたように、私(そして私たち)は、まったく納得していません。

「A側の説得があってB側が納得する」というプロセスには、A側の一方的語りだけでなく、B側の質問や反論や意見をA側に出し、双方の議論、やり取りがあって、ようやく、B側が納得するという結果にいたるものです。しかし、今回、そうしたやり取りの余地は最初から、地元代表の区長の態度によって排除されていました。「話し合いをしません、意見も気持ちも聞きません、質問にもお答えしません」という姿勢だったのです。

そうした中でどうして「納得」できるでしょうか。私たちはまったく納得していない。新聞記者、及び読者の方々に、ぜひこの点は伝えておきたいと思います。

私たちの多くが登らなかったのは、「女人禁制」維持の論理に「納得」したからでなく、むしろまったく「納得」できていないからこそ、今後にこの続きをどうしてもしなくてはいけないと思ったからです。まだまったく途中なのです。一方的にあの場を去っていかれたからこそ、話し合いをしたかった私たちは、不満や不充足感でいっぱいでした。

その意味で、「大峰山」側の登らせないという政治的姿勢は貫かれたのです。「私たちはお願いした。後はあなたたちが決めること」と言い放って、話し合いをせずにその場を去ることで、これで登山したら「だからあいつらはひどいやつだ。地元住民の気持ちを知っているくせに登山するとんでもない輩だ」というレッテルを貼ることができるという作戦であることは明白でした。

しかし私たちは敵対的行動に出ること自体が目的ではなかったので、「じゃあ、登山しよう」とはならなかったのです。ルンルン気分で登ろうとはならなかったのです。そして今後話し合うという約束だけは何とか取り付けたのです。ですから、あの場で解散しました。
私の感覚は、あのような「登山中止要請だけ宣言し、お願いしますとだけ連呼し、その場を去る」という政治的行動自体を嫌悪します。私は、政治的駆け引きをしたいのではないのです。心をわって素直に地元の人と話し合いをしたかった。まさにそこに、私たち「女人禁制」開放派の思想があるとおもうからです。闘って敵に勝ちたいのではない。どちらが力が強いか、どちらが駆け引きがうまいかを争いたくないのです。
でも、従来どおり、戦いの姿勢で対応されてしまいました。それはまさしく暴力的でした(暴力とは物理的なものだけではありません)。
残念です。そして悲しいです。この世は、暴力だらけです。

そのときの私(多分私たち)は、とりあえず「負ける」ことを選びました。「大峰山」側の狙いがわかっており、してやったりとおもうだろうともわかりながらも、また、新聞に不十分な記述がされ、バッシングだけが広がるであろうという予測がありながらも、今後への期待を込めて、あの場では、ただ解散しました。

非暴力闘争の「勝利」とはなんなのでしょうか。私は、敗北するのも必要なプロセスだと思っています。負けても、その志の高さを示していく。その中で、相手方に、何を伝えたいのかが伝わっていく。そうした「戦い方」が非暴力闘争なのです。政治的駆け引きで、相手が悔しがる勝利をすることが目標ではないのです。今度の例で言えば、「大峰山」開放を願う人々や性的マイノリティの人たちやフェミニストの、生き方や思いや志が伝わっていくことが狙いなのです。

すぐに効果はないでしょう。
しかし、新聞記者の方々には、少しは伝わったのではないかと思っています。私たちの声を聴いて、立ち振る舞いを見て、こいつらは何を考えているのかを少しは感じとっていただいたと思っています。

そして地元の人でさえも、今回、始めて顔をあわせたわけです。その上で、この文章を読んでいただいたりすることの積み重ねの中で、かならず、「敵対的対応」だけではない対応が出てくるものと信じています。
そして、その方法論こそ、私(および多分私たち)が伝えたいことの真髄なのです。「女人禁制」はその表面的現象に過ぎません。山に女性が入るか否か自体が大事なのではなく、この過程の中で、何にこだわっているかが伝わるかどうかが、大事なのです。
性的マイノリティの人権を含めた性差別を考え、差別をなくしていくということは、そういうことなのです。


☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆
質問書の内容はふざけて書いたものではありません
「大峰山プロジェクト」に関して(その3)
イダヒロユキ
(11月8日記)


まず、「G-FRONT関西」と「「女人禁制」を考える会」は、今回の登山プロジェクトの主催者ではありません。そこの掲示板に心無い書き込みがいつものごとく集まっており、荒らされています。
自分のHP・ブログで意見表明するのは勝手ですが、「荒らす」のはやめていただきたいと思います。中にはまともな意見もあります。しかし、こうしたメール上での議論はほとんど不毛です。誤解を生みます。誠実に考えコミュニケーションしたい人こそ、掲示板に書き散らすというスタイルをしないと私は思います。
どうしても伝えたい意見は、ominesan_tozan@sakai.zaq.ne.jp のほうへ送ってください。


次に、『「女人禁制」Q&A』(解放出版社)を読んでから言っていただきたいなと思う意見がたくさんあります。皆さんが読んでいるということはないのはわかっていますが、自信満々に非難・批判をする人には、やはり、先ずは『「女人禁制」Q&A』を読んでよねといいたいですね。ある程度のことさえ知らずに言われている意見が多いので、知っていただいてから意見をいっていただければ、もう少し冷静に、相互尊敬をもって話せるのではないでしょうか。
再度言いますが、私のスタンスは、異なる意見のものをバカにするのはやめようということです。


「今回あなた方は『登山をやめて欲しい』と懇願している地元住民の意思を 踏みにじって強硬に登山したそうですね。」などといったまちがった意見がウェブ上で飛び交っています。まったく事実に反しています。何も当日の状況も知らずに、一方的情報を無批判的に鵜呑みにし、色メガネで見て決め付ける姿勢がここにも出ています。そして2チャンネル的に「チンピラのような理由だけで他人の心を踏みつけにする悪魔達は地獄に落ちて欲しい。」といったような言葉が並んでいます。

どうか、このHPを見ているまともな方は、冷静に全体を見ていただきたいと思います。新聞報道やブログ上での一方的情報を鵜呑みにしないでください。
私たちのやり方に不十分点もあっただろうと思います。それについては、今後会議を持って反省点をまとめて公表したいなと、私個人は思っています。

しかし、少しでも全体を見ることのできる人なら、書き込みに出ている多くの誹謗中傷、罵り、非難の類が的外れであることがわかるでしょう。私たちの姿勢は、対話を求めるものでした。対話を拒絶し、聴きあわない対立の構図に持ち込んだのは私たちではありません。一方的に誹謗するような姿勢の人こそ、自分の暴力性を振り返るべきでしょう。

「ジェンダーフリー」という概念一つでも、私はそれの有効性を主張しています。しかし、よく知りもしない人が、調子に乗って「ジェンダーフリー」をしたり顔で批判しています。そのようなことがいっぱいあるのです。今回もそのようなことが起こっています。

でも私は、希望をまったく捨てていません。まともな人には伝わるという確信があります。「女人禁制」を残すべきだとはやはりいえないでしょう。さまざまなことを乗り越えなくてはならないとしても。


  誤解が多い点なので、私たちが出した質問書の意図を私なりの言葉で簡単に書いておきたいと思います。

質問1 「大峰山」に女性が入山してはいけない理由をお聞かせください。「伝統である」という場合の、その伝統が作られた理由(なぜ「女人禁制」にしたか)を教えてください。文書があれば、それも教えてください。

→ 説明の必要はないと思います。文言どおりです。

質問2 戸籍上で男から女に性別を変更した人は、入山してもいいですか?
質問3 戸籍上で女から男に性別を変更した人は、入山してもいいですか?
質問4 身体は男性ですが、自分の性の意識(性自認)が女性の人は、入山してもいいですか?
質問5 身体は女性ですが、自分の性の意識(性自認)が男性の人は、入山してもいいですか?
質問6 戸籍上の性別は男ですが、性別適合手術などによって身体は女性になっている人は、入山してもいいですか?
質問7 戸籍上の性別は女ですが、性別適合手術などによって身体は男性になっている人は、入山してもいいですか?
質問8 戸籍上は男性ですが、服装・髪型などの外見が女性的である人は、入山してもいいですか? 歌舞伎の女形が女装している場合には入山が許されますか?
質問9 戸籍上は女性ですが、服装・髪型などの外見が男性的である人は、入山してもいいですか? 宝塚の男役が男装している場合には入山が許されますか?

→ 以上の質問2−9は、「女人禁制」を正しいことだと考えている人たちに、男女2分法の枠内に当てはまらない人々がいるということをしっていただき、その点から、自分たちが排除している「女人」「女性」とは何なのかを考えていただきたいと思って提出した質問です。
急に言ってもわからないかもしれませんが、当日、当事者の人がいくので、その思いを聞いていただきたかったのです。その存在を感じていただきたかったのです。男性、女性の2つしかないと思っている方もいらっしゃるかと思いますが、だからこそ、質問書をみて、考えはじめていただきたかったのです。自分たちのやっていることが「当たり前」と思っておられる人に、従来考えられてきた「女」・「男」だけではない、どちらでもない人がいるときに、「女性」という定義は揺らぐはずです。揺らいだとき、再び、なぜ、女性を排除するのかという問いが、別の角度から浮かび上がってきます。そうした思考の出発点をつくりたかったのです。「男性なら良くて、女性ならダメ」ということの自明さが揺らぐというところに行きたかったのです。

11月3日、私たちのこの質問書をそこに来ている地元の人に配ろうとしたとき、区長はそれを阻止し、あとで皆さんに渡しますといいました。事前に3本山5護持院に送付しておいたので、私としては、村の皆さんにもその情報が行き渡っているものと考えていました。
でもそれは甘かったようです。
当日、あそこに来られた村の人々50−100人の方々の多くは、あの質問書自体を見ていないようでした。また見ていてもさっと批判的に見ただけで、そこに込められた真摯な思いを汲み取ってもらっていないと感じました。それでは、私たちが何を対話しようとしているのかも判らないと思いました。
そしてその質問書を前にして、あそこで説明をしたかったのですが、それもさせてもらえませんでした。確かに質問書だけではわかりにくかったかと思います。そこは私たちの不十分点の一つでしょう。
でもだからこそ、あの場で、これはどういう意味ですか、と聞いていただければ、説明もでき、誤解を解くこともできました。決して失礼な問いを面白半分に投げつけたつもりはなかったのです。そうした対話を始める道具としての質問書でした。全国で賛同してくださった多くの方も、質問書のそうした積極面に共感してくださったものと思っています。

以上のことは以下の質問についても言えることです。

質問10 男性同性愛の人は、入山してもいいですか?女性同性愛の人は、入山してもいいですか?
 
→ この質問は、女性の入山を排除する理由の一つとして「修行のジャマになる」ということがあるので、それならば、同性愛の場合、男性が横にいても「修行のジャマ」になるのではないかと問うことで、「修行のジャマ」という理由の正当性自体を考えてこたえていただきたいと思って質問したものです。

  また女性同性愛者は、男性に性的興味を持たないと考えられますので、「男性のジャマ」にならないのではとも考えられます。これは少し、無理な発想ですが、一応ここで聞いておきました。

狙いは、みなが異性愛であるという前提はなりたたないということをお伝えしたかったのです。そうしたとき、「修行のジャマ」ということと「女人禁制」との間には齟齬が生じるということを提起したかったのです。「女人禁制」は異性愛と男女2分法を前提にした制度です。しかしその基盤自体が揺らいでいることを知っていただきたかったのです。
そしてこうしたことを考えていく延長に、そもそも、修行ということと、「セクシャルな魅力のある人が傍らにいる」こととが本当に矛盾するのか、という問いにつながって行くと思っていました。


質問11 修行者・僧侶が性別を変更したものであるとか、同性愛者であると明確になった場合、どのような対応をされますか?

→ ご存知のように、2004年7月に「性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律」が施行され、一定の条件付きですが、性別の変更が可能になりました。
とすれば、上記質問2−9にも関わりますが、男性のように見える方も、ひょっとすると、性別を変更された方かもしれません。そこで、性別を変更されたとわかったとき、「女人禁制」を守ろうとされる方はどう対応されるのか、純粋にお聞きしたかったのです。
同性愛者については、質問10に関わりますが、同性の存在が「修行のジャマ」になりうるのかもしれないと思い、その場合、どう対処されるのかをお聞きしました。

質問12  月経(生理)がない/終わった女性は、入山してもいいですか?

→ 「女人禁制」の理由の一つに、「女性は穢れている」という認識があります。穢れ意識には月経・出産などでの出血が関わっているとも言われています。そこで、「月経がない/終わった女性」なら、どう考えておられるのかを聞くことで、「穢れ」を理由にされるのかどうかをお聞きしたかったのです。
この点は、質問1に関わります。


質問13 部落出身者の入山が禁止されていたことがあったかとおもいますが、それが変えられたのはいつで、理由は何ですか?

→ 「女人禁制」の最大の理由としては、「伝統だから守る」というものがあげられています。私の頭脳では、それは説明になっていないようにおもうのですが――たんに現象をなぞっているだけ、或いは、トートロジーのように思える―――、とにかくこの言い方が幅をきかせています。そこで、「伝統なら絶対何があっても変えないのか」ということを問いたいと考えました。そして、実は、伝統としては、部落出身者も排除していたことがあるので、伝統といえどもひどいものは変更したではないかと問うているわけです。 この問いも、真摯に受け止めてもらえば、思考が始まるはずのものです。とても大事な問いです。 質問14 男性なら誰でも入山していいのでしょうか。男性で「過去に犯罪を犯した人、現在犯している人、執行猶予中の人、ナチス礼賛者の人、しょうがい者、ハンセン病患者(回復者)、外国人、異教徒の方」の中で、入山してはいけない人はいますか? → この問いは誤解を受けやすいかと思いますが、狙いは、修行のための「聖なる場所」を守るという理由で「女人禁制」といいつつ、男性ならだれでもいいというのは、あまりにご都合主義ではないかと感じましたので、問いかけてみました。

女性でも修行したい人はいます。女性でも素直にハイキング・登山したい人がいます。それが、「聖なる山」を汚すとは思えません。
逆に、ここは人権と絡む微妙な問題ですが、人権侵害をするようなひどい人が入山するのは、聖なる山を汚さないのかという問いを出して聞きたかったのです。そのため、あえて、「過去に犯罪を犯した人、現在犯している人、執行猶予中の人、ナチス礼賛者の人」と書きました。
しかし人権の観点からは、そうした人に対しても入山拒否すべきではないように思います。そして事実、「大峰山」はそうした人を排除していません。それはいいのですが、だとしたら、なぜ「女性」は排除なのかと再度、問いは帰ってくるのです。「過去に犯罪を犯した男性、現在犯している男性、執行猶予中の男性、ナチス礼賛の男性」よりも、「女性」は「穢れている」「聖なる場所を汚す」というのですか、と聞きたかったのです。

また、「しょうがい者、ハンセン病患者(回復者)、外国人、異教徒の方」は、過去、疎まれていたり、差別の対象でした。「聖なる場所」を汚すものと見るような偏見もあったかと思います。しかし今、もちろん、そうした方々の入山拒否はしていません。伝統を変えたのです。そうした方々の入山を認めるのは、まともな対応だと私は感じました。であるなら、女性も過去、差別の対象でありましたが、現代においては、入山を認めればいいのではないかと問いたかったのです。

問い15 修行とは関係なく登山・ハイキングを楽しむために入山・登山している男性がいるかと思いますが、では、同じ目的の女性も入山してもいいように思うのですが、どうして修行とは関係ない女性が入山することは禁じられているのですか。

→ この問いはあまり説明が要らないように思います。

問い16 男性が修行するのに、女性はジャマですか。

→ これは、問い1にも関わりますが、大事なことなので、あえてここで明確に聞きました。

問い17 「大峰山」に関わる修行するもの、宗教者、修験者などの中には、結婚されている方もいると聞いていますので、性交渉(セックス)自体の否定はないとおもいますが、では、「大峰山」の中で性交渉することはどうなのですか? その理由も教えてください。 また修行に行く直前に、あるいは修行を終えて下山してきた直後に、「大峰山」のふもとの宿の中で性交渉することは戒律上どうなっていますか。

→ こうしたセクシュアリティ、セックスに関わる問いは、フェミニズムやジェンダー研究をしているものにはなんら抵抗はないのですが、今の日本では、こうした問い自体を不快に思われる方もいるようです。ここは決して興味本位、あるいいは「失礼な質問をぶつけてやろう」と思って出したものではありません。極めてまじめに問いかけをしています。

質問の狙いは、「女人禁制」の理由として女性がいると「修行のジャマになる」ということだそうなので、その中身は、性的欲望対象がいると性的なことを考えてしまい集中できないというようなことがあるのかと推測して、いくつかのことを聞こうと思ったのです。

まず、修行ということと、セックス或いは性的なことを考えるのは本当に矛盾するのかと聞きたかったのです。私あるいは私たちの中には、性的(セクシュアル)な面での解放は決して恥ずかしいことではなくすばらしいことだという考えがあります。ですから素直に、セックス(性交渉)をすることと、聖なる修業は矛盾しないのではないかと思ったのです。少なくとも私は、山の上で、夜、セックスやマスターベーションをするのはだめなことではないのではないかと思っています。そこで、その点を聞いてみました。

次に、「女人禁制」の結界門の外側にでてくると、過去、売買春のようなことがあったと聞いています。とすると、修行とセックスの関係はどうなのかを単純にお尋ねしたかったのです。現代においては、山のふもとで売買春があるとはおもいませんが、山のふもとまでは女性も来れるので、修行の前やあとの、妻あるいは恋人とのセックスはどうなのかを素直に聞きたかったのです。
これによって、セックス(性交渉)というものをどう考えておられるのかをお聞きしたかったのです。修行と対立するものなのか。対立しないものなのか。対立しないなら、山の中に女性が入ってもいいのではないのか。
というのは、これが、「女人禁制」の理由とどう絡むのかを考えたかったからです。そもそも、女性がいるから修行のジャマになるというのが、どういうことなのか、よくわからないのです。そのためにこのようなことをお聞きしたかったのです。
失礼に感じた方がおられたとしましたら、不十分な問いだったかと思いますが、意図は以上のようなマジメなものでした。

問い18 山の上で、男性どうしが性交渉(セックス)するのはいいのですか? 登山者やハイカーの場合はどうですか?
問い19 山の上で、マスターベーションをするのはいいのですか? また山の上にポルノ雑誌を持ち込むことはいいのですか? 登山者やハイカーの場合はどうですか?

→ この2つの問いも、その意図を理解してもらっていないとき、「失礼だ」と誤解を受けやすいかと思いますが、信頼感があればその意味は十分理解していただけるものと思います。この問いの狙いは、現在、「大峰山」は女性を排除しているわけですが、もし、男性どおしの性交渉が認められているなら、女性がいてもいい(女性の存在があっても、性交渉するわけでもなく、ただ意識してしまうという程度のことなのだから)ということになりそうなので、聞いてみたわけです。
  そして、もし、男性どおしの性交渉がダメなら、やはり、問い10,11に関わることが出てくるわけです。男性も排除しないのかと。
  また山の中でマスターベーションするということは、「女人禁制」の考えでは、それもダメということではないかと思ったので、聞いてみたわけです。しかしひょっとすると、そうしたことは何も規制していないという返事があるかもしれません。わからないので聞いてみたいと思ったのです。

  でも多分、マジメに、聖なる山の上で、そのようなことをするわけがないだろう(そんなことを修行に来たものがするはずがない)といわれると予測しています。でもだからこそ、聞きたいのです。では、たとえ女性がいても、聖なる山の上で、修行するとき、女性の存在など眼に入らないのではないのかと。女性がいても修行できるのではないのかと。そのようなことを考えるはずがないだろうと。ではなぜ、「女人禁制」なのか。
  つまり、私たちは本当に、「女人禁制」を続ける理由がわからないのです。だからいろいろな角度から問いを出して、知りたいと思ったのです。

  次に、登山者やハイカーの男性はたくさん入山しています。その人たちは、別に修行をしているわけではありません。その場合、その人たちが、性的欲望を感じるようなことを考えてもいいとお考えなのかどうかを知りたかったのです。登山者がセックスしたりマスターベーションすることは許可されているのか。それは聖なる場所を汚すとお考えなのか、それは別にかまわないということなのか。
  それが別にかまわないなら、修行とは関係ない女性も入ってもいいように思うがどうなのか。

  セックスしたりマスターベーションすることが聖なる場所を汚すのでダメだというなら、次のポルノ雑誌の質問が絡んできます。
  ポルノ雑誌のことを書いたのは、マスターベーションのとき、それを用いる場合が多いと思うので、もし、マスターベーションのようなことを禁じるとしたら、ポルノ雑誌の類の持ち込みも禁止なのではないかと類推して聞いたわけです。そしてポルノ雑誌の持ち込み禁止を看板に書いたりしているのかどうか、お聞きしたいと思い、それとの関係で、女性の存在は、ポルノ雑誌と似たようなものなのか(だから入山禁止なのか)どうかも話しあってみたいなと思ったわけです。
  別に持ち込んでいいなら、なぜ女性だけ入山禁止なのか、ここから考えても女性が入ってもいいということにつながるかもしれないと思って、聞いてみました。
  繰り返しますが、こうした質問をする私たちの感覚は、セックスやマスターベーションを汚らしいものとは思っていないというところから出発しています。ですから、バカにしたり、失礼な扱いをしてやろうと思って聞いているのではないのです。しかし、解説ナシで読むだけでは、誤解を与える不十分な聞き方だったかもしれないと私は少し反省しています。
  説明することで、誤解は解けるものと信じています。

問い20 山の上に酒を持ち込んで飲むことはいいのですか? 登山者やハイカーの場合はどうですか?

→ この問いも、問い18,19と同じで、飲酒という行動は、聖なる山を汚すのかどうか、汚す行為なら、飲酒を禁止しているのかどうか、酒の持ち込みは禁止しているのか、禁止していないなら、どうして女性だけ入山を禁止するのか、などと話をしてみたかったのです。

問い21 もし女性が入山したら、どのようなことがその人に起こりますか。また周りの人にはどのようなことが起こりますか。また山や環境などにもどのようなことが起こりますか。
問い22 過去に「大峰山」に登った女性たちのことをどう思っておられますか? 

→ 「女人禁制」が続いていますが、一方、『「女人禁制」Q&A』の本にも書いてあるように、過去、多くの女性が実際には入山/登山しています。それに対して、どうお考えなのか、教えていただきたいと思っていました。
聖なる山を汚す行為をしたひどい人なのか? だからそういう人には神様の罰が下っているのか? 誰にどのような影響が起こるのか。起こると思っておられるのか。実際、起こったのか。

こうした問いから、本当のところ、女性が入山して、何が問題なのか、そこのところを知りたいと思ったのです。私のホンネでは、過去女性が入山しても別に問題はなかったのではないのか、という思いがあります。一部の人はそのことを快く思わなかったでしょうが、そもそも、女性が登っても、実害はないのではないのか。つまりただ、「女人禁制」を続けたいという人の考えが「女人禁制」を続けているだけではないのか、という思いがあったので、この問いを出してみました。


問い23 犬や馬や猫などの動物のメスが入山してもいいのはなぜですか?

→ この問いもふざけているのではありません。ギリシャ正教の聖山アトスでは、ネズミを捕る猫以外は、家畜でもメスはだめとされているそうなので、聞いてみました。大峰山も「女人禁制」をするなら、動物のメスもダメとしているのか、していないのかを知りたいと思い、動物のメスがよくて人間だけメス(女性)がダメなのはどうしてかも聞いてみたいと思いました。

なお、「大峰山」と「アトス山」には、違いがあると言われています。アトス山は、隔絶された場所で、基本的に厳しい戒律を守る修道士だけが生活しているところで、妻帯も不可となっています。外部のものが入るには、巡礼事務所の許可が必要で、その許可がなかなか下りず、許可が出ても原則3泊4日までしか滞在できません。
それに対し「大峰山」は男性ならハイキングを含めて誰でも入れます。結婚もできます。かなり違います。
しかもアトス山においても、欧州議会は、「男女同権」「EU内を自由に行き来する権利」に反するとの決議を出しています。アトス山の例があるから、「大峰山」でも「女人禁制」を続けていいのだというわけにはいきません。(『「女人禁制」Q&A』p171参照)


問い24 「大峰山」に関わる「神様」「仏様」その他「聖なるもの」は、人権侵害、暴力、差別を認めないのですか? 時には認めますか?

→ もちろん、「人権侵害、暴力、差別など認めない」と考えておられるだろうと思っています。でも、そのことをはっきりとお聞きしたいと思います。そしてその上で、では、「女人禁制」は人権侵害や差別ではないのか、対話を重ねないのは暴力的態度ではないのかと問うていきたいと思っています。
もちろん、「区別であって差別でない」という言い分を言う方もいらっしゃるでしょうが、まさにそこをめぐっていろいろ話し合いがなされる点なのです。あらかじめ答えが決まっているのではなく、考えの異なるものたちがいるのです。そのものたちの対話を始めるためにも、この原点の確認をしておきたいと思いました。これは、私たちが共通に立つ基盤だと思うからです。人権に勝る伝統や慣習はないのではないかと思うのですが、そうでないという意見もあるでしょう。でも人権が大事という原点は共有したいと思っています。

問い25 「大峰山」に関わる「神様」「仏様」「聖なるもの」は、すべての人を平等に愛するとおもうのですが、入山したいという女性を苦しめるのはなぜですか?

→ これも単純に意見が一致するとは思っていません。でも、「女人禁制」で辛い思いをしている人がいるのです。「外部のもの」が遊び半分でいっているのではないのです。そういう場所があると言うことは、実は、この社会のさまざまな場面での差別というものがあることの反映の一つなのです。フェミニストや性的マイノリティの人権擁護を考えるものたちにとって、そうしたものとどう向き合うかということがとわれているのです。
今、ジェンダーフリーバッシングや性教育バッシングが横行しています。そういうものとどう向き合うかも同類です。すべてはプロセスです。「大峰山」解放だけが大事なのでもなければ、それさえあればこの世の差別がなくなるというものでもありません。でも、相撲の土俵にしろ、女性の天皇をめぐる反対論にしろ、その他さまざまなところでのジェンダーバイアスや女性排除、女性蔑視ということと、「大峰山」の「女人禁制」はつながっています。だからこそ、多くの事を考えることの一つとして、この問題にも向かうのです。

また、この問い25は、別の角度からの意味も持っています。それは、聖なる山のスピリチュアリティは、人権ということとどう関わるのかという問いです。聖なる修行の山だということはすばらしいと思います。でもだからこそ、普通の場所以上に、あらゆる人に優しい、誰も差別せず、誰もを癒す場所なのではないかと思うのです。そういう場所において、「女人禁制」が本当にふさわしい特性なのかということを話し合いたいと思って、この問いを出しました。


問い26 ある宗教の教義・経典・宗教文書などが人権侵害の内容をもっていたとき、それを変えるべきと思いますか?
問い27 「大峰山」の伝統は誰がいつごろ作ったのですか? 証拠・文書はありますか。

  → この2つの問いも、問い13や25に関わって、伝統というものを不変のものとするのか、変えていくことも必要とおもっているのかということを話し合うための問いです。
私は、伝統を大事にしつつも、人権侵害など問題がある箇所は変更していき、豊かなものに発展させていくのがいいのではないかと考えています。
2003年には、欧州議会で「いかなる伝統、慣習も、人権より優先するものであってはならない」という決議もなされました。

問い28 登山道の一部は公道だということですが、そこの通行を制限することに問題はないのですか?

→ この点については、かなり詳しく『「女人禁制」Q&A』に書いてあります。今回の私たちの行動に対する非難のうちで多いものの一つがこの点に関わるものです。つまり、「大峰山」という宗教の場所をどうするかは宗教団体が決めればいいのであって、外部のものがとやかく言うべきではないという考えです。「尼寺に男が入ってもいいと思っているのか」「宝塚歌劇団に男性が入っていいと思うのか」などとよく言われます。それを言って得意げに論破したと思っている方が多いのです。

しかし、「大峰山」の「女人禁制」の結界門から山頂への登山道は、公道です。「女人禁制」区域には公道が含まれているのです。ですから法的にいって誰もが通れる道なのです。尼寺や宝塚の問題とはまったく性質が異なります。道の補修も税金でなされています。宗教教団の私有地ではないのです。
公の場所に、特定の人々が、女性をいれないというのは、憲法や男女共同参画社会基本法にも抵触しないのでしょうか。
ですから、「女人禁制」をする主体に、どのような権利があってそれを行っているのか、法的な問題をどう考えておられるのか、お聞きしたいとおもってこの問いを出しています。(『「女人禁制」Q&A』p200−212参照)

問い29 「女人禁制」に関する関係者や信徒の皆さん全体の意見をどのようにして把握されているのですか。アンケート調査や投票行動などをされたことはあるのですか?
問い30 今でも一部の信徒は開放すべきという意見だと聞きます。信徒など関係者の過半数が「女人禁制をやめよう」という意見になったら、伝統を変えますか? 過半数でも変えない場合、開放派が何割をこえたら開放されますか?

→ この2つの問いは、どのようにして、「女人禁制」を廃止することができるのかというプロセスの展望を持つことを考えるための重要な問いです。伝統だから絶対変えないというのか、みなの意見の結果として「女人禁制」を維持しているのかという大事な点です。

11月3日の成果の一つとして、この点に関しては少しお話が聞けました。つまり、いままで、ちゃんとみなの意見を調べたわけではないが、感触として8:2、あるいは欲目で9:1程度で「女人禁制」維持派が多いと区長さんは思っているとのことでした。統計調査はなされていないのです。そして小さな村社会です。異なる意見を言いにくい雰囲気があるといわれています。

 ですから、私たちは、関連団体の中で、「女人禁制」を廃止してもいいのではという意見を出せる場所をつくること、情報や外部の人との話も含めて、話し合いが積み重ねられていくこと、などが大事だなと思っています。
そして過半数を超えたらその団体は開放派になること、そして関連団体の多くあるいは全部が開放派になれば、「女人禁制」が廃止されるのだということがわかってきたのです。つまり、変化の可能性はあるのです。あとは、各団体で民主主義的なことが保障されていくことが必要でしょう。そうした点を話し合っていくための問いとして、この問いは重要なのです。


問い31 『「女人禁制」Q&A』(源淳子編著、解放出版社)では、さまざまな観点から、女人禁制が批判されています。これらの点をめぐって、じっくりと意見交換・勉強会をしたいと思います。そうした話しあい/学びあいの場をもちませんか。

→ その意図は明白でしょう。

以上、質問書の意図を解説してきました。ふざけているのではなく極めてマジメに質問しています。「ふざけている」と思われた方の誤解が解けることを願っています。不十分な点は反省したいとおもっていますが、バカにしたりふざけたのではないと理解していただくことと平行して、「この問いはもっとこう聞けばいい」、「この聞き方は意図に反してここがダメだ」というような建設的な意見をいただければと思います。


新聞記者の方にも、不用意な表現の記事によって誤解が生じている面があるかとおもいますが、本稿などをみて、誤解を解く方向で新たなる記事を書いていただければうれしいなと思っています。

まだまだ書くべきことはありますが、まずはここでいったん閉じます。


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多様性ある共生社会になるために、異なる意見を認める雰囲気と非暴力的行動が広がればいいと思う
「大峰山プロジェクト」に関して(その4)
イダヒロユキ
(11月16日記)


以下、私個人の見解です。

私たちの社会運動が目指しているものは何なのでしょうか。私なりの一つの言い方は、それは、非暴力の思想とスタイル・方法が広がることだと思っています。

たとえば、大阪朝鮮高級学校の生徒が、大阪市立大学医学部看護学科の推薦入試の出題を断られた問題で、NPO法人「コリアNGOセンター」が、多民族・多文化共生の社会作りをゆるがしかねない、とする抗議文を11月7日にだしました。

  いろいろな思想・立場で異なる意見があるでしょうが、私は、抗議する権利、抗議する人がいて、それを行える自由があることが大事だと思っています。
「大峰山」問題で伝えたいのは、そんなことです。

多数派・マジョリティは、自分たちを標準化し、マイノリティの存在を無視したり忘却し、マイノリティが声を上げると嫌がったり、邪魔者扱いしたり、悪者扱い、変人扱いします。それをなくして多様性が尊重される社会を目指しています。「大峰山」問題では、そこが問われています。

「国旗・国歌法」自体がひどいものと私はおもいますが、それを通すとき「教育現場で強制はしない」と政府は答弁したにもかかわらず、学校現場では、「日の丸・君が代」が事実上強制され、日の丸を掲げているか、声を出して君が代を歌っているか、チェックされています。それに従わないものは処分されています。どこかの全体主義国家の話ではありません。日本のことです。

根津公子さんは、「日の丸・君が代」の強制に屈することは自分の良心に反する、子どもたちにそんな姿勢を見せては、私の人生が否定されるということで、抵抗を貫き停職処分をうけましたが、学校の校門前に「出勤」するという戦いをされました。私は、こうしたひとりひとりの決意と行動が多くの人を動かしているということから学んできました。私は、根津さんのような生き方に共感する立場なのです。

「日の丸・君が代」が好きで、当然と思っているものは、それに反対する者が「厳粛なる式を壊す破壊活動者」にみえます。根津さんの行動が非常識なものに見えます。

でもここには明らかなバイアスがあります。想像してみて下さい。もしフェミニストばかりのあつまりで、フェミニストでない人がいて、そういう意見を言ったとき、嘲笑されたり、破壊活動するなと怒られたり、言い分に耳を傾けずアタマから否定されたら・・・。
多くの人は、多数派のフェミニストの態度こそおかしいと思うでしょう? ちゃんと意見を聞くべきだ、異なる意見のものがいてもいいのだといいたくなるでしょう。でも日の丸君が代を正しいと信じて、異論を認めないという立場なら、同じことをしているのです。

根津さんが処分されても抵抗してすわりこんでいるところを子どもたち、地域の人たちに見せることこそ、民主主義の教育なのではないでしょうか。民主的な地域づくりなのではないでしょうか。

「日の丸・君が代」に賛成(反対)するものばかりがいる中で、「日の丸・君が代」に反対(賛成)だということがどんなに難しいか。それでも、民主主義者なら、意見が分かれる問題に対して、異論を認めることを大事にするでしょう。
ですから、私の考えでは、「日の丸・君が代」に反対するものは、一斉強制に反対しているのであって、別の場所で(あるいはときには同じ場所でも)「日の丸・君が代」をすきなものがそれを歌ったり掲揚することに反対しないと思います。少なくとも私は。 私の尊敬できるフェミニストは、異論を聴く耳を持っています。

そうした立場ですから、「日の丸・君が代」に反対する権利と賛成できる権利の両方を守ることが大事だと思います。式において、君が代を歌わないとか、起立しないといった行動を取る自由は保障されるべきだと思います。

式に政治を持ち込むなという人は、自分の政治性に自覚的になるべきです。強制している側こそ、政治を持ち込んでいるのです。そして、教育が自立した個人を育てていくものと考える私は、式においても、多様な意見があることを表明しあうことが大事と思っています。勇気やスピリチュアルなものが見えるのは、そういう時なのです。

多数派が、自分たちを正しいと思って、少数派を弾圧することを私は、良しとしない立場なのです。

「大峰山」問題は、ここに関わっています。
「大峰山」の「女人禁制」問題には賛否両論があります。「女人禁制」に反対だと意見表明して何が悪いでしょうか。話し合いに行って何が悪いでしょうか。11月3日に話し合いを拒否したのは、「大峰山」側の人たちでした。

でも今後、話し合いましょうということになりました。大きな一歩前進です。異なる意見の者たちが話し合うこと、その過程があきらかにされ、みながこの問題を考えていき、相互理解を深め、すぐに「解決」とか「意見一致・合意・和解」にならないとしても、歩み寄りがすすむことが希望です。

それを嫌っているのは誰ですか。なぜ話し合いがすすむのがいやなのですか。何にいきり立っているのですか。相手を罵倒するものたちは、自分の愚かさに気づきもしないほど愚かなのでしょう。

非暴力闘争の歴史は、さまざまな「戦い方」を積み重ねてきました。
集会を開催する、デモをする、ストライキをする、団体交渉をする、ビラをまく、シュプレヒコールをあげる、ピケをはる、何か権力側が要請することに協力しない、署名活動をする、納税しない、座り込んで動かない、道路に座り込んで逮捕される、卵を投げつける、横断幕を掲げる、立ち続ける、ハンガーストライキ、ダイインなどの多様なパフォーマンス、などなど多様なスタイルがあります。
グリーンピースのように、法律に一部反するようなところに入って大きな横断幕を掲げるといった「過激」なパフォーマンを行うのも非暴力闘争の一つです。マイケル・ムーアのように、皮肉る映画作品を作るのも有効なスタイルです。欧米各国では今でもそうした活動が活発に行われています。

しかし、日本では、いま、反体制的な社会運動が減少し、上記のような非暴力活動のほとんどを、「迷惑な変な活動、過激な暴力行為、法律に違反する社会破壊的な人たちの行動」とみるような「雰囲気」があるようです。「卵を投げる」ということの民衆の抵抗の歴史を感じる力を失っているのは誰なのでしょう。

でも私は、日本が多様性ある共生社会になるために、上記のようなさまざまな非暴力的行動をとる人が増える社会になればいいのになと思います。それを許容する雰囲気の社会になればいいのになと思います。異論をいえる社会。異なる意見のものがいるということ、とくにマイノリティが存在しているということを自覚するような社会になればいいと思っています。社会的に力を奪われた側、立場が弱い側、マイノリティの側が、ちゃんと生きていけるためには、能力主義だけではダメなのです。ですから、非暴力的なさまざまな「闘争」スタイルの保障はとても大事なのです。

「大峰山」の「女人禁制」の場所に行くことは、そうした世界的な非暴力的活動の水準の観点から見れば、なんら過激でも非常識でもない穏当な活動ではないかと思っています。質問書を提出し、それに基づいて話し合いましょうというパフォーマンスは、十分ありでしょう。私など、むしろ暴力的に対応されても、こちらは非暴力で対応しようと思っていたのです。
無理やり暴力的に強行突破で登山するなどまったく考えていませんでした。「女人禁制」の結界門という特殊な場で、「登る」という可能的行為を前にして、何を感じるのか、賛否両論を話し合ってみたかったのです。登りたいという女性、登りたいというトランスジェンダーのひとがいるとき、どう感じるのかを口に出して頂きたかったのです。

そんなやりかたは「日本人の感覚」にあわないというかもしれませんが、「日本人の感覚」というのも人によって違うでしょう。そうしたものを持ち出してまたまた多様な意見やパフォーマンスを封じ込めることこそへんです。

だから私は、11月3日の行動や質問書に対して、さまざまな意見があるのがいいと思っています。さまざまな意見があるということは、とてもまともです。問題は、自分が正しいと思って、相手を見切ったつもりになって批判することでしょう。
よく知りもしないで、批判するのは軽率な行動だとおもいます。顔がつながって信頼関係があれば、軽率な批判もしないでしょう。

「大峰山」問題で、私たちに問われているのは、こうした点に関する自分の見解でしょう。


昨日、さーやさん(現在、黒田清子さん)の結婚式が行われました。私個人は、みちこさんと黒田清子さんになんら恨みもないですし、美しい親子愛だろうなとおもっており、幸せを願っています。
しかし、健全な社会という観点からは、異論を許さない雰囲気で、おめでとう一色で報道し、しかも敬語の嵐で、過剰にありがたがったり、雲の上の方たちのように扱うのは、へんだと、私は思っています。天皇制自体に批判や異論があってもいいのです。戦後、そうした議論が活発なときもありました。
共産党も天皇制廃止をいっていました。そうした意見がちゃんと言えることが大事でしょう。
故・ナンシー関さんが、今の皇太子とまさこさんの結婚のとき、ちょっとおかしいんじゃないのと批判したことは、大事なことでした。そうした意見が封殺される社会は、ナショナリストや右翼が嫌うどこかの全体主義国と似てはいないでしょうか。

思い出すべきは、天皇家への多くの人の素朴な思いが、戦前、戦争体制に利用されたことでした。北朝鮮やイラクでも、独裁者は同じような感情を利用します。民衆はうまく情報操作されるとコントロールされるものなのです。
メディアの報道を疑う能力を持ち、天皇制度に賛成の人と反対の人が共存できてこそ、一方的に利用される戦前のような雰囲気にならないことが保障されるのだと思います。

昨日だけでも世界中で多くのひとが結婚しました。そのどれもが、おめでたいというなら同じ程度におめでたいのだという感覚が私にはあります。ことさら天皇家だけを美化するのはどうかと思います。またよく知りもしない人の結婚を、そんなにおめでたいと思わない人がいてもいいとおもう感覚が私にはあります。
そうしたことを許さないような報道の仕方に異論があります。

こうした意見も偏狭な国家主義者・右翼からは、「なんと不敬な発言だ、国賊だ、非国民だ」ということになるでしょう。「国民みながおめでたいと思っているときに、一部フェミニストやサヨクだけが偏狭にも文句をつけている」と思うのでしょう。国旗・国歌問題と同じですね。自分が正しい、反対するものこそおかしいという決めつけ。
私はそういうものに異論をさしはさんでいるのです。そこにバイアスがあるよ、と指摘しているのです。

  異論と多様性ということを考える上で、もう一つの例が、昨日の中国外相の発言です。同外相は、「ドイツの指導者がヒトラーやナチス(の追悼施設)を参拝したら、欧州の人々はどう感じるだろうか」「重要なのは、日本の指導者が、再び中国とアジアの人民の感情を傷つけないことだ」と述べました。

偏狭な国家主義者・右翼は、怒り心頭でしょう。「ヒトラーと陛下(天皇様)や『戦犯』とされた軍人さんたちを同列にするとは失礼だ」と。

でも、中国外相の例えは、私個人の見解としては、間違っていないと思っています。そういう例えはありうると思います。

問題は、私のような意見や中国外相のような意見を日本のなかで言えることが大事だということです。大きな声で、「なんと言うことを言うんだ!」と発言を抑圧する雰囲気が徐々に日本で大きくなってきています。

「大峰山」の「女人禁制」問題は、こうしたことに関わっていると思います。天皇制、戦争・改憲への態度、などと重なってきます。「大峰山」の「女人禁制」を続けるべきだと思っておられる方々には、ぜひ、異なる意見もあるのだということを知って、その人たちの声にも耳を傾けてくださいますよう、お願いしたいと思います。話し合っていきましょう。


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久保さんの反論にコメントします
「大峰山プロジェクト」に関して(その5)
イダヒロユキ
(11月20日記)


「大峰山」の地元住民である久保彰守さんという方から11月はじめに手紙が来ました。基本的に、私たちの質問書を見た上で、それに直接答えるのではなく、私たちの運動自体を批判するというスタンスのお手紙でした。当事者(地元住民)の一員であり、多くの批判的な意見の代表的な要素をもっていると思われましたので、それへの簡単なコメントをすることを通じて、今後の議論の土台(整理)にすると同時に、その他の方がたの疑問などにお答えする要素も持たせたいと思います。なお、以下はすべて私個人の見解です。

1: まず久保さんは「男女差別というわけをお聞かせ願いたい」と書いておられます。それにはもちろんお答えしたいと思います。しかし、そういいながら久保さんは、話し合いを持とうというニュアンスでなく、私たちの側が一方的に間違っているかのように書かれています。男女差別でなく、男女区別だと断定して、それですむかのようです。

それに対しては、まさにそのことこそ、話し合いたいのだといいたいとおもいます。ここは議論がいるところなのです。一方が、差別だといい、一方が区別だといい、それで終わる問題ではないのです。
『「女人禁制」Q&A』は丸々1冊をかけて、現代においてはそれが差別であると述べています。執筆者各人は、自分にとっての「女人禁制」を語っています。しかし、久保さんのお手紙にはそれを読んだ形跡がありません。ですからまさにこの点をめぐって話し合いをしなくてはならないのです。「差別ではない」というだけでなく、『「女人禁制」Q&A』を読んでいただき、私たちと話し合うテーブルについてください。私たちの質問にも向き合っていただきたいと思います。

2: 久保さんは、私たちを「男女差別であると決めつけるもの」「穏やかな生活を侵害するものたち」というように描いておられます。それこそ「決めつけ」でしょう。「女人禁制」の廃止を求める人たちを、「権利を振りかざす勝手でエゴな人たち(他人のことなどお構いナシで、自分たちの主張だけする人)」と決めつけるような表現をされていますが、そうした姿勢は不毛でしょう。「野次馬根性」(でやっている)などという決めつけもされていますが、それも不毛でしょう。

相手を知る前から色眼鏡で見るのはやめていただきたいと思います。ぜひ会って、一人一人の思いを聞いてください。私たちは一方的に「差別だ」ときめつけるつもりは毛頭ありません。この問題は複雑だと思っています。簡単に意見が一致するとは思っていません。でも「差別なのではないか」という意見にも一理あることを知っていただきたいのです。

少し硬い言葉で言うと、私(たち)は、「女人禁制」を普遍的・本質主義的に女性差別だと決めつけているわけではありません。「女人禁制」は文脈しだいでは、差別にもなるし、単なる区別にもなると思っています。大事なことは、いかなる文脈で「女人禁制」は差別になるのか、差別にならないのかを明らかにすることです。
後の「伝統」の議論にもかかわりますが、「昔からやっている伝統だから、変えなくてよい。差別ではない」というのは、きわめて非歴史的・非文脈的なとらえ方です。時代は変化しています。国民は均一ではありません。階級、階層、性、民族、政治的立場、属しているコミュニティなどによって、そして何より個人によって、差異があります。
そのとき、まさに直接的に「女人」という女性・ジェンダーの側面さえ無視=脱「性」化して、本質主義的に「差別ではない」とすること自体が、とても政治的なのです。私たちはそこを問題としています。

性的マイノリティの人の実在という文脈で、まさに、そこからでた問い自体を無視し、ないもの(不可視)とし、ただ「とにかく登らないでください。女性か男性かは常識的に判断してください」とだけ述べる姿勢は、とてもジェンダー・バイアスのかかった態度なのです。性的マイノリティをみようとしないことは、排除対象である「女性」とは何か、そして登ってもよい「男性」とはなにか、を見ようとしないことです。「修行」ということがジェンダー化されているなかで、問題を脱「性」化しているのです。

3:「女人禁制」をやめてほしいという要求は、「生活権を侵害する(地元の人への人権侵害だ)」などといわれますが、そのようなつもりはありません。「穏やかな生活を侵害すること」を目標とするものではありません。そんなことをしても私(たち)に何の得もありません。そんな極悪非道な人間ではありません。ではなぜ、私たちは「大峰山」の「女人禁制」を問題としたいのか。そこを聞いてほしいのです。

 私たちは、この性差別のある社会に生きており、「伝統」という名の思考停止のある社会に生きています。多様性を認めることの少ない社会に生きています。ジェンダーが見えないこととされ、ジェンダーに鈍感な対応があふれています。日本中にまだまだ女人禁制の場所、女性をタブーとする場所があります。

私たちは、そうした社会を変えて、みなが生きやすい社会に作り変えていきたいのです。 もちろん、社会を変えていくべき契機となる場所は「大峰山」に限りません。あちこちで女性への差別に抗議がなされており、差別を批判する裁判が起こされています。教育現場では、ジェンダーフリーの教育がなされ、社会全体で男女共同参画社会に変えていこうという努力が積み重ねられています。労働において、ジェンダー差別への戦い、異議申し立てがなされています。
そうしたこととつながって、「大峰山の女人禁制」も見直そうという声がずっと前から出されているのです。「大峰山」の「女人禁制」はそうしたことと無関係には存在していないのです。多くの署名も集められ、「女人禁制」に関する本もいくつも出版されてきました。
 ですから、「外部のものが勝手に来た」というような、社会と「大峰山」を切断したようなとらえ方に、私は違和感をもちます。つながっているのです。私たち一人ひとりは、この社会をよりよきものにしていくということにかかわっています。知らない、関係ない、では済まされないのです。社会のあちこちで性の秩序が再生産(ジェンダー化)されている現実と、「大峰山」の「女人禁制」はつながっています。「差別ではない」と強弁し、対話を拒否する姿勢そのものに、ジェンダーに鈍感で、むしろジェンダー差別の再生産に加担していることが出ていると思うのです。だからこそ、関係ないこととしてほうっておくことはできないのです。

4: また久保さんは、上述したことに関連して、「女人禁制」を求める側は、開放後の地域住民の「生活保障をできるのか」というような言い方をされていますが、これに対しても疑問があります。
そもそも、開放(女人禁制を廃止)したら「将来は過疎化の一途をたどり、廃墟となることは火を見るよりも明らか」と書かれていますが、その根拠がわかりません。信徒の人は、女人禁制がなくなると、ほんとうに修行しなくなるのでしょうか? 「女人禁制」をやめても、聖なる修行の山ということは続くはずです。むしろ女性信者も来るし、女性の登山者も増えるのではないですか? 男性修行者も、「女人禁制」をやめても来るのではないですか? 来なくなるという根拠は何ですか? 開放すると「8つの講社が解散する」という根拠は何ですか? 女性を排除しないと修行できないというのがおかしいといえます。

「差別」の上に成り立つ生活というのもおかしな話です。極端な例ですが、「暴力的ポルノグッズ」で生活している人がいるからといって、それを温存すべきということにはならないでしょう。それを減らしていく中で、別の仕事で生きていくしかないでしょう。「女人禁制」が差別かどうか自体が論点になりますが、もしそれが問題ある制度なら、それに依存しない生活基盤を作っていくしかないのではないでしょうか。

一部の修行者集団が「女人禁制」をやめたら来なくなるといっている(?)そうですが、もしそうしたことがあるなら、それは一種の「おどし」ともいえるわけで、それに唯々諾々と従っているだけでいいのでしょうか。
しかも逆に言えば、「女人禁制」維持強行派が変わればすべて変わるというだけのことになりますよね。強硬派集団が、「そうか、わかった、女人禁制をやめよう」といえば済むという問題だとすれば、「伝統」だから変えないという話ではなくなります。生活の問題は重要ですが、話し合いの余地がある問題だと思います。

もちろん、総合的に考えて、微妙な問題もあります。戦争中、労働組合や女性団体・一部女性解放論者は、戦争に協力することを条件に、その目的を達成(権利を拡大)したという事実があります。大峰山の「女人禁制」も、何らかの取引の側面があるのかもしれません。

私が聞きたいのは、「女人禁制」はひどいこと(差別的制度)で悪習だが、生活のために仕方なく存続させているとおもわれているのか、それとも、差別ではないと本気で思っておられるのか、という点です。どういう文脈(状況)では、差別でないといえるのでしょうか。どういう文脈状況の時には差別となるのでしょうか。そこが今後の話し合いの論点の一つです。
その上で、どうしたら「女人禁制」に依存しなくても生活していけるかを考えていくことはもちろんいると思います。それを排除しているのではないのです。今からこうしたことを考えていくことは必要なのではないでしょうか。「とにかくかかわらないでくれ。これまでどおりにやらせてくれ。そっとしておいてくれ」では、通じないでしょう。

5: 久保さんは、世界遺産登録は、「地元がその歴史と伝統を守り大自然を守り通してきたことへのご褒美」だと理解されているそうですが、だからといって、「女人禁制」を残してきたから世界遺産登録されたとはいえないのではないでしょうか。

6: 「大峰山寺の境内地であり、修験者の道場なので女性の立ち入りをご遠慮願っている」「尼寺に男性が入れないのと同じ」といいますが、これはまったく間違いです。この手の「反論」は、「男人禁制車両(女性専用車両)や宝塚歌劇の舞台に男人が無理やり入ってくるのと同じだ」といった程度の低い反論で繰り返されています。

まず、「女人結界」のところから山頂までの道の多くは公道(村道)であり、境内ではありません。寺のまったくの私有地であったりお寺の建物内であれば、特定の見解に基づいて女性が入れない場所があることもありうるとおもいますが、登山道はまったくそうではありません。その維持には公費が投入されており、誰もが通れる道です。
また国立公園内という意味でも、女性排除は問題です。

さらに「女性専用車両」は、まさに性暴力から守るために作られたもので、これと「女人禁制」とはまったく別物です。排除されているものの人権を考えているときに、この程度の形式論で語るところに、性差別、人の痛みへの無理解が出ているように思います。男子トイレに女性を入れろといっているのではないのです。人権侵害・人間排除の痛みをわかってほしいといっているのです。

「ご遠慮願っている」というなら、もっと理解してもらえるように説明する責任があるでしょうが、それがなされていません。納得しない人は入山してもいいはずですが、事実上は一方的に禁止(入山拒否)しています。説得と強制(一方的禁止)は違います。

7: 「ギリシャのアトス山も『女人禁制』ではないか」と書かれていますが、アトス山は、修行者のみが生活するところであり、訪問には厳密な条件があります。またそのアトス山でさえ、人権上問題だと指摘されています。それに対し、大峰山は、普通の登山家が登っているところで、アトス山とはまったく性質が異なっています。

8: 久保さんは、「女人禁制」は「伝統」だから変えなくてよいという反論をされています。男女平等と「伝統」との関係は、話し合っていくべき論点ですが、単純に対立するものではないのではないですか。伝統のいいところは存続させつつ、問題のあるところは改善していくという姿勢は、決して伝統の全面否定ではないと思います。

大塚英志『「伝統」とは何か』(ちくま新書)をぜひみていただきたいのですが、そもそも、まともな学問水準では、「伝統」とは作られたものだ、変化しうるものだということは常識です。急速な社会変化が過去との関係をあたらに作り直すことを必要としたとき、新しい「伝統」がつくられてきたのです。
彼は言います。「「伝統」を求めるがゆえに、それを「ある」ことにしてしまい、そしてそれを根拠として、ぼくたちはしばしば社会的政治的な判断をしようとする。つまり「伝統」は、ぼくたちの思考のあり方としてはいささかマッチポンプ的であり、しかし「伝統だから」と一度、根拠にしてしまうと、ぼくたちはそれをもはや冷静に検証できなくなる。」

また、「「伝統」と口にしたとたん、その来歴や根拠はほとんど問わない傾向にある。「伝統」とった時点で、それはなんとなく昔からずっとあるということを証明してしまっているように、大抵の人は感じてしまうはずだ。しかし「伝統」も、「歴史」と同様に「つくられた」ものである。特に今日、ぼくたちが「伝統」と信じる習慣や思考の多くは、明治以降の近代に新たに出来上がったものだ。」とも述べています。

つまり、伝統には起源があるのです。なぜそれがつくられたのか、生じたか、なぜそれが続いてきたのか。そして今、なぜそれが問い直されているのか。そうしたことを考えていく必要があるとおもいます。「伝統だから」では何の説明にもなりません。「続いてきたから意味がある」「続いてきたものを私たちの時代で変えてはならない」ともいえません。時代は変化するので、続けるべき理由がなくなるときがあるのです。変えていくべき責任感と決断力が求められるときがあるのです。女性天皇をめぐる議論にしても、土俵の女人禁制についても同じでしょう。

「大峰山」の「女人禁制」も、今、差別ではないか、廃止するべきではないかという疑義が出されているのです。そのとき、なぜ、存続させるべきなのか、改めて考え、説明・説得していく義務が存続派にはあるのではないのでしょうか。

たとえば、パート労働問題で、これもちゃんと自分の頭で考えないものは、「これまでそれでやってきたんだから」と思考停止して、「正社員は安定雇用で高賃金ボーナスありという待遇、パートは、時給800円で社会保険なし、雇い止めあり、ボーナスなし」でいいと放置しています。ある種の「伝統」ですね。それが続いてきたんだからそれでいいだろうという発想です。こうした人は、社会問題を解決していくことができません。変えることができないのです。そしてそれはもちろん、経営者の人件費抑制に利用されています。差別に加担し、自分が「強者、正社員」の立場に無意識に立ってしまっているのです。

大峰山問題はここにかかわっているのです。パート問題をあなたはどう考え、どういう立場でそれにむかっていますか。それと同じく、「1300年続いた」ということをいうことで思考停止していませんか。

大塚氏が言うように、立場の異なる相手側のだめさだけしか目にはいらないということはよくあることです。「自分と異なる立場の人々の信じる歴史が「つくられ」たものだ、と批判することはひどく簡単だが、他方で、自分の側の歴史を疑うことはどうにも困難なことなのだ」という言葉を、どこまで私たちが忘れずにいられるか。

「それぞれが違う「私」たちと、しかし共に生きうるためにどうにかこうにか、共存できる価値を創るため」には、歴史や伝統といったものに批判的・批評的になれるような『個』を確立させ、それぞれの差異を踏まえて公共性を立ち上げるようなことが必要なのです。ある時代につくられた「伝統」に無批判的に身を委ねるのは、安易な、思考停止の姿勢といわざるをえません。

私たちの質問書では、そこのところを問題にしてお聞きしました。宗教関係者でも、女人禁制が必要だとは思わない方はたくさんいらっしゃいます。仏教の伝統ではないと主張されている方もおられます。大峰山の修行者の方で、「私は女人禁制をなくしてもいいと思う」とメールを下さった方もいらっしゃいます。「大峰山」の「女人禁制」は、誰が何のために作った「伝統」なのですか。それに答えようとせず、話し合いもしない姿勢とは、いったい何なのでしょう。

そしてまた、この問題をめぐって、インターネット上でしたり顔で論評する人の多くが、反フェミ、反開放(親・伝統、親「女人禁制」)です。そのことは何を物語っているのでしょうか。こういうときに、自分の立場をどこに置くかで、その人の思想性がすけてみえてきます。

私としては、まさにこれだけフェミ嫌いが多く、フェミへの無理解が多く、匿名で何かののしるような姿勢を持ちたい人が多いからこそ、非暴力主義を伝えるフェミが大事だなとおもっているのです。

「伝統」を語る人は、『「伝統」とは何か』をせめて読んでください。そういう水準で話しあっていきたいと思います。

9: 久保さんは、「責任や義務が大事で男女平等はそのあと」というような主張をされますが、ここには、「権利、民主主義、男女平等」ということへの誤った理解があるようにおもいます。

10: 全体として、『「女人禁制」Q&A』をぜんぜん読んでいないレベルのご意見です。ちゃんと読んでから返事していただきたいとおもいます。

11: 久保さんは、「大峰山」へ登ろうという呼びかけに「地元住民は戸惑っている」とおっしゃいますが、どういう手段でみなさんの意見を聴いたのでしょうか。地域住民の皆さんは、私たちをどのような集団だと思われたのでしょうか。その情報源はどこだったのでしょうか。

地方・地域(いわゆる保守的なところとか、田舎といわれるところ)ではなかなか他者と異なる意見は言いにくいといわれています。住民民主主義をどのように創っていくのかは大事な問題と思います。05年11月3日に、私はそこにこられた地域住民一人一人の方の声を聴きたいと思い、それを求めましたが、それは拒否され、一人一人の異なる意見はないかのように、代表一人が話をしていました。そういうスタイルでいいのでしょうか。

☆  ☆  ☆

以下、久保さんのお手紙ではないですが、多くの人がもっている批判意識に関わる2つの点に、とりあえず答えておきたいと思います。

A:強行登山という批判について

すでに私の説明と見解として書いていることですが、それをよく読みもしないで、いまでも事情を知りもせずに、ブログなどのいい加減な情報をもとに「合意を一方的に反故にして登山したことは、信頼を踏みにじったひどい行動だ」「強行突破した強行登山をしたのは許せない」ということだけを繰りかえす人がいます。
まったく間違いです。これまでの私の当日の状況説明をよく読んでいただきたいと思います。

まず、合意(登らないという約束)などなされていません。
大峰山側の区長さんがただ「登らないでほしい」という要望を一方的に述べ立てたうえで、一方的に話し合いを拒否し、あとは知りませんということで、その場を退去されたのです。ですから合意が成立するなどという余地はまったくなかったのです。私たちに納得するように説得されたのでもないのです。
意見も聞かない、気持ちも聞かない、質問書にも答えない、大峰山側の地元住民にも話はさせない、その場で質問書をくばることも禁じて、ただ帰っていかれたのです。「登山を暴力的に実力でとめることはできない。」と区長さんもおっしゃいました。私たちもそれは当然だと思いました。その上で、さあ話しあおうとしたのに、「話はしません、私たちの意志は伝えましたから」と、さっさと帰る方策をとらえたのです。それはきわめて「政治的」な態度でした。

 そうした中で、私たちのグループは、皆で登るという決定などせず、今日はここで解散しようということになりました。私たちは、登山・入山自体が目的ではなかったからです。「むこう側がいなくなったぞ、さあ登ろう。ルンルン」というようなものではないのです。ですから区長さんにも、今日は解散することにしましたと、その旨、お伝えしました。

その後、個人として登った方が数名いたということですが、そういう事情なので、まず、強行突破、強行登山(約束違反の登山)などではありません。「登らない合意」もなかったし、立ちふさがる人などもいなかったのです。

   そしてそもそも、私の考える民主主義では、各人が自分の感情や意見を出す権利があります。だから「山に登られると悲しい」「腹が立つ」「いやだ」という意見もありだと思っています。
 しかし、一方で、その登山道は公道であり、誰が入ってもいいところなのです。そこに入っていく権利は誰にでもあります。入っていった方がたにも言い分や思いはあるでしょう。入って登りたいというのも、また正当な感情・意見です。登った方を非難できませんし、非難する必要もないと、私は思っています。だから私は(そして主催者である私たち実行委員会のメンバーの多く)は、登るなとその人たちに言う権利などないと思っています。

登山したものがいたということは、それは異なる意見のものがいたという事実を示しているに過ぎません。「登ったこと」を非難できる絶対的立場など誰にもないのです。
なのに、したり顔で「強行登山は絶対に許せない!」と怒る方々は、自分の無意識のバイアスにまず気づいていただきたいと思います。

この点は、前稿でも述べたように、卒業式で、「日の丸・君が代」が強制されている中で、それに反対の意思を表明する権利があると思うかどうかに関わっています。私は、反対の意見を表明できる社会こそ望ましいと思います。「卒業式で君が代を歌わないやつが許せない」というような人が、「強行登山は許せない」というならわかります。同じ程度にファシズム的だからです。

 むしろ、強硬的態度は、大峰山の側だったのではないでしょうか。こちらの言い分や思いをまったく聞かないという態度を、「このプロジェクトを非難する人」はどう思っているのでしょうか。

  今回、多くの参加者は登りませんでした。過去には登った女性もいます。それぞれです。その中で、今後話し合いをしていけばいいじゃないですか。登ったものは、話し合いをする権利がないとはいえません。相手が異なる意見の人だから話し合いをしないとなるでしょうか。「君が代・日の丸」に反対のものに対しては、話し合いに応じないというようなことでいいでしょうか。

一般的には、「まったく相手にするに値しない、ひどい人、低レベルの人、暴力的な人」ということもありえます。しかし今回の私たちの行動、登山した人たちにそれを当てはめることができるでしょうか。

B:無礼・一方的であったのか

もうひとつよくある批判感覚として、「話し合いを持ちかける相手に対して、礼節が欠けていた。無礼な質問状を出して、一方的に押しかけた」というものがあります。
これも事情を知らないままの一方的意見です。

礼節はある程度必要ですが、主観と主観のぶつかり合いということもあります。これまで話し合いをもとめる電話などに礼節を欠いた態度をとってきたのは一部大峰山側のひとだと聞いています。今回のことだけが急にあるのではなく、今までの経緯があるのです。過去、何度も「女人禁制」の見直し、話し合いが求められてきたのです。扉を閉じてきたのは、「女人禁制」維持派のほうでした。
そうしたなかで、今回のかかわりも、対話を進めていこうというコミュニケーションのきっかけのひとつです。

それに、質問書が「無礼かどうか」に対しては、ニュートラルなものだといえると私はおもいます。見る人によって感じ方は異なるでしょう。とり方は多様ですから、前に書いたように誤解を一部受ける表現があったことは認めたいと思いますが、だからこそ、それは会って話し合う中で解決していけばいいのです。見方を変えれば、あの質問書の文が皆にとって絶対的に失礼なものだとはいえないと私は考えています。あの質問をいいものだととらえる人もいます。

 これは異なる意見というものに慣れているかどうかに関係します。自分に批判的な意見があってもいいじゃないですか。「この質問はひどくないですか」といっていただければ、意図を説明し、足りない点は謝ります。そうしたコミュニケーションの積み重ねで、相互理解が深まるのです。あの質問書はふざけていません。真摯な質問です。それは質問に対する私の説明をちゃんと見ていただければわかるとおもいます。

 そして、あの場に行って、話し合いをすること自体も、見方を変えれば、そういう方法もあるなという程度のものです。
ですから「押しかけ」というのも、前に書いたように社会運動に対する無知あるいは偏見の要素がたぶんにあります。民主主義社会では、マイノリティが、さまざまな非暴力的方法で意見表明していくことが大事です。事態を民衆の運動の観点から見れないものは、「押しかけて行った」「迷惑をかけた」としかみえないのです。こうした話し合いや意思表示の行動を「ひどい」と思う感性こそ問い直していきたいという思いが私にはあります。

   何が違うのでしょうか。私は、反発や誤解、齟齬、反発もあるのも当然と見ています。それに対して、説明していき、そうか、人権意識を高める運動とはそういうことだったのか、と伝わっていくこと自体が社会運動の目標だと思っています。ですからこうした意見交換ができていく事が大事なのです。

11月3日のパフォーマンスは、多くの人にこの問題に関心をもってもらい、こうした意見交流が始まり深まるきっかけとなりました。封殺ではなく、開放しながらの異なるものの交流のプロセスこそ、目指していたものなのです。
まだまだ、フェミニズムへの誤解や偏見があります。「女人禁制」をなくしたいという意見の深い主張もつたわっていません。それが、11月3日のパフォーマンスで動き始めたのです。そういう意義があったと思います。この運動はまだまだ続いていきます。

反論もあるでしょう。でも、私のほうにもまた言い分はあります。フェミを見切ったつもりになっている「あなた」の「傲慢さ」を問題としていきたいと私は思っています。

(06年2月2日追記)「伝統に関して」
「伝統」に関してですが、天皇家を男系で継承すべきだという意見がよくあります。しかしどうして女系ではダメなのでしょう。

ある「学者」(渡部昇一・上智大学名誉教授『致知』2006年1月号)は、日本部族の根源としての水田稲作に注目し、稲の種子を男性、田を女性にたとえて、女性天皇と女系天皇の違いを説明しているそうです。稲の種子をどの田に播いても生えてくるのは稲であり、一つの系統を継承していくためには、種子がポイントとなる、といっているそうです。女性天皇が子供を産んで皇位を継承するとなれば、神武天皇以来の男系の血筋から外れる危険性が大きくなり、万世一系の放棄は、日本民族としての精神的な根源、中心を失うということにもなりかねないというのです(『日本時事評論』2006年1月6日号より)。

この「説明」で納得できるアタマの構造が、私にはよくわかりません。男が種子で女が田ですって? それは、「女の腹は借り腹」ということとどう違うのでしょう。私の小学生レベルの知識では、人間は精子と卵子からなるものだということです。生まれた子どもは、卵子抜きには成り立ちません。「血」という概念を使うとしても、父親と母親の「血」は半々と考えるのがまともなのではないでしょうか。すると、渡部氏の例でいくと、「卵子が種子で、男の精子が田」といってもいいはずです。しかしそうはいわない。それでは男性が従属的になるからです。
つまり、「種子と田」というたとえには、どうしても「田」の方は、従属的な位置というニュアンスが付きまとっているのです。このたとえでは、男女半々の「血」ということが忘れられ、あたかも「稲」というほうだけが大事で、田はどこでもいいのだということになります。これが「男系を守れ」ということの正体でしょう。
でもそれは男女平等、ジェンダー平等の時代にはどうしても納得できるものではありません。愛子さんには、皇太子さんと雅子さんの両方の「血」が半々入っています。あえて天皇制存続の賛否、「血」という論理の賛否をここでははずしておきますが、天皇の「血筋」が女性だと途絶えるというのは、生物学的に納得できるものではありません。子どもが継げば、「血統」は続くじゃないですか。
何が何でも男系という「伝統」だ、何が何でも男性のほうの「血筋」でないといけないというような発想には、一体どういう正当性がるのでしょう。女性を「田」にたとえるような男尊女卑の人にしか分からない論理は、通じません。これも「伝統」だからという一言で、とにかく、男系を続けろというのでしょうか。
ことほどさように、「伝統」とは「無条件に守ればいい」のではなく、必要なら適切に時代時代で見直していくべきものだと、私は思います。

        ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆
ぜひ知っていただきたいこと。今まで登った女性はたくさんいた。ちゃんと理解する人もいる。
       :「大峰山プロジェクト」に関して(その6)
イダヒロユキ
(11月21日記)


「性・宗教・メディア・倫理」というサイトで、「大峰山プロジェクト」への意見――「大峰山「炎上」について」――が書いてありました。バランスが取れている冷静で理性的な、まともなご意見でした。私(たち)のいたらなさを反省もしました。ありがとうございました。このサイトを見られている方もぜひ見ていただきたいと思います。

「一定の信頼関係や友好関係ができてこそ」というのはとても大事な観点ですね。私は、過去の運動で、以下に述べるように「女人禁制」開放に理解がある人がいることも踏まえ、更なる対話の契機として今回のことを始めました。まともな方たちと信頼関係を作っていきたいと思います。
当日の参加者の冷静な対応を見ていただければ、私たちが信頼関係を築きうる対象者であることが地元の人に少しは伝わったのではないかと思います。
むしろ、新聞報道などで「強行登山」などという事実上の「誤報」に間接的に触れて、再び観念的に対立意識を持つことを懸念します。直接会うことが大事です。

少し誤解あるいは、情報不足もあるかとおもいますので、記しておきます。
地元住民の方に急にあのような質問をぶつけても理解されないだろうという点に関することですが、そうしたことも少し考慮して、送付した質問書にあわせて、「トランスジェンダー」「性同一性障害」「同性愛」など2ページにわたる用語の解説もつけておきました。もちろんそれだけで十分とは思いませんが、きわめてマジメにこれに対処していることが少しは伝わるものであったかと思います。

次に、「一般の信徒へぶつけた」という点ですが、質問書は、3本山、5護持院の方々にお送りしました。一般の信徒へぶつけたのではありません。ただし、3本山、5護持院に送ることで、関係者のみなさんに見ていただくことを期待していました。

次にこれは大事な点ですが、3本山(真言宗醍醐派総本山醍醐寺、本山修験宗本庁聖護院門跡、金峯山修験本宗総本山金峯山寺)は、1997年に基本的に「女人禁制」の撤廃を決した「声明文」までだしました。2000年の大祭をめどに、「女人禁制」を解くことも1997年には発表したのです。そこでは、「女性に開放することによって、従来の村落や地域社会に根ざした信仰から個の信仰にも対応し、家族や学校といった新たな形で共同体の信仰に発展させていく」とされています。当時開放論議が起こり新聞報道もなされ、もう一歩のところまで行きました。つまり、基本的に3本山は、「女人禁制」撤廃派なのです。ただ、一部地元勢力の強硬な反対にあって、それは、継続審議になっているのです。

今回の質問書に対しても、一つのところからは明確に、信仰上の見地から「女人禁制」撤廃に賛成と考えておられる旨のお手紙をいただきました。
ただし、地元信徒・5護持院(龍泉寺、櫻本坊、竹林院、東南院、喜蔵院)・役講社などの「大峰山寺の組織がまだそこまで踏み込んだ議論ができていない」ので、そこの判断を待ちたいという立場でした。

これまで「女人禁制」廃止運動をしている人たちが聞き取り調査したところによると、関係者の中では、
「修験道とは自然の中で自分を見つめなおし、謙虚になることを目的としており、女性信者の敬虔な行動を見るにつけ男女に関わらない」、
「『女人禁制』開放は新しい時代の修験道のあり方を探る一つの表れだ。最近の研究によれば、役行者は決して女性を排除していない。当初、戒律として男女別々の修行であったものが、その後時代の影響を受けて、『女人禁制』を定着させたもの。今日、登拝者の減少、女性信者の活躍など『大峰山』の信仰を取り巻く情況は変化してきた。宗教としてこれから千年は耐えられるような修験の教えを確立するためにも、『女人禁制』についても真剣に検討したい」、
「吉野は『女人禁制』に必ずしもこだわっていないし、開放という立場でまとまっている。『女人禁制』は教義にはない」
などと述べています。(『「女人禁制」Q&A』Q31参照)

つまり、基本的に、宗教的教義で「女人禁制」をしているのではないことは関係者の一部は認めているのです。開放派もいるのです。地元女性の中には、地元の閉鎖性、性抑圧性を語る人もいます。女性信者の中には、「開放されたら登りたい」という人もいます。

しかし、一部強硬に「女人禁制」開放に反対する人たちもおり、「世界文化遺産登録にあたって『大峰山女人禁制』の開放を求める会」の運動のひろがりに対抗して、「女人結界門」の前に「女人禁制」擁護の看板を新たに設置するなどの対抗的動きもあるのです。

これまで、「女人禁制」開放をめざす動きはたくさんあり、たとえば、1946年近畿登山協会が高女学生350名の登山を陳情するとか、同年、女性教師や生徒が登頂を試みるとか、女性新聞記者が登頂するとか、1949年女性宗教者15名が登頂する、1956年には、東京の「登山とスキー普及会」の女性登山者が登ろうとする、1999年女性10人が登頂する、などさまざまな試みがありました。これまでに実際に登った女性はたくさんいるのです。(『「女人禁制」Q&A』Q29参照)

以上のような事実も知っていただけたらと思います。『「女人禁制」Q&A』の冷静なスタンスが伝わることを願います。

☆  ☆  ☆
なお、内田樹さんのブログ http://www.tatsuru.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/1355
で、「大峰山炎上」ということで、内田樹さんの無知と偏見ゆえの見解が載せられていました。今回の私たちの行動をえらそうに批判してくださっています。2チャンネルレベルです。悲しいことですが、だからこそ、フェミへの正しい理解が広まることを願います。

内田さんは「私は予言する。性差別は確実に解消の方向に向かってゆくであろう。だが、フェミニズムは、その『必勝不敗の論法』とその『正義』ゆえに、マルクス主義と同じく必ず滅びるであろう。」と述べて、「正論正義づらするな」という程度の批判でフェミを切れると思い込むほどの無知で単純な人ですが、ぜひ私の『スピリチュアル・シングル宣言』(明石書店)を読んでいただきたいなとおもいます。

(06年1月31日追記)
内田センセーのような、この世のきれいなものが見えず、本当の意味で「頭の悪いエラソウな、フェミ嫌いなオッサン」がいるからこそ、私はフェミが大事だと思っているのです。彼は一体誰のために「賢い頭」を使っているのでしょうか。一体何に憤りを持って、何のために生きているのでしょうか。よく知りもしないで、人(今回の私たち)を罵倒することができる権威主義的姿勢こそ、私が対抗してきたい「暴力」というものです。
フェミは、内田さんがバカにするほど底の浅いものじゃありません。内田さんにはぜひ私の『はじめて学ぶジェンダー論』(大月書店04年)『続・はじめて学ぶジェンダー論:セックス・性暴力編』(大月書店06年3月末発行)を読んでいただきたいものです。その上で「大峰山炎上」で書いたことを謝罪していただきたいとおもいます。(イダヒロユキ)




「大峰山」へ出かけてみて 〜なぜわざわざ「大峰山」なのか〜 (森なお)


 トランスを始めとする様々なセクシュアル・マイノリティに対して、女人結界門はどん な振る舞いを見せるのか、という友人の素朴な思いに、わたしもまた乗せてもらう形で、 11月3日を迎えた。
 もちろん、女人結界門はわたしを女と判断するのか男と判断するのかというような話で はない。そうではなくって、女性を排除するというときの、その女性というくくり方自体 が、実はかなりあいまいなものでしかないのだということを、身をもって示してみたいと 思ったのだ。
 無理にでも男と判断させて、この姿を山頂まで運ぶというのも、一興ではあるかもしれ ない。だが、そもそも女が登らせもらえない山に、特権階級の端くれとして登るなどとい うことは、自分で自分が許せる話ではない。それは仮にわたしがトランスでなくただの男 だったとしても、同じである。誰かが排除されている場所に、その誰かではないことを もって立ち入ることなど、わたしは決してしたくない。
 もちろん、被差別者を差別者の視線や暴力から守るために設けられている「結界」は話 が別である。大峰山に行ったあと、じゃあ女性専用車両は差別ではないのか、などという 「反論」が多数寄せられたりしているが、そんなのは論外である。
 当日、30人あまりの様々なジェンダー・アイデンティティーやセクシュアリティを持つ 人たちが集まった。かなり遠くからかけつけた人たちもいた。大峰山の開放を求めて息の 長い取り組みをされている人や、女性の仏教徒として仏教の女性差別と格闘されている方 などもおられた。もちろんトランス系の人たちもかなりいた。
 「大峰山側」は結局、地元である洞川(どろがわ)地区の人たちのみの「お出迎え」で あった。
 わたしたちは事前に丁寧な質問状を、大峰山に関係するいくつかの寺院に宛てて送って おいたのだが、そこからの回答などはなく、あるいはそこから人が出てくるというのでも なく、結局地元の人たちだけに、いわば「やっかい払い」の役を負わせたかっこうであ る。
 その質問状に関しては、反省もある。丁寧と書いたが、事柄については丁寧に議論を重 ねて、自分たちなりに本質に迫る質問を考えたつもりではあったのだ。決してふざけてい たわけでもなければ、相手を愚弄しようなどというつもりがあったわけでもない。きわめ てまじめな思いの質問状ではあったのだ。けれども、一般常識的な意味での「礼」は失し ていたかもしれないと、今は思っている。それがあるいは、ふざけているとか相手を愚弄 しているとか感じさせてしまう要因になっていたかもしれないと、反省はしている。
 ともあれ、お寺側は出てこなかった。わたしたちと対峙してくださったのは、地元洞川 地区の区長さんを始めとする住民の代表とおぼしき人たち。そして女性たちであった。も ちろん、代表とおぼしき人たちは、みな男性である。
 地元の人たちは生活がかかっているのだ。その意味では必死なのだ。
 地区の女性たちが「女性としてお願いします。どうか登らないでください。」と頭を下 げ、中には目に涙を浮かべながらの人もいて、口々にそうおっしゃる姿が、まぶたに焼き 付いている。
 お寺側は、ある意味「宗教論争」なのだと思う。それはそれで本気になる部分もあると は思う。わたしも宗教に無縁の人間ではないので、宗教に固有の差別を、その宗教がどれ ほどなりふり構わず正当化しようとするかは、身をもって知っている。けれども「宗教論 争」は結局のところ、いつもマジョリティの手にあるのだ。マジョリティの土俵に乗るの でなく、それには被差別の生活実感をぶつけるのが本当だと、常々思っている。「宗教論 争」したい人たちに、生活実感をぶつけるとき、議論はなかなかかみ合わないけれども、 本質的な意味での勝負は終わっている。だからこそ「宗教論争」の側は、あえて「生活実 感」とは対峙しようとせず、ますます「宗教論争」にふけっていくということなのかもし れない。
 で、今回の対峙のさせられ方に限って言えば、つまりわたしたちの側が、いわば「宗教 論争」側に立たされてしまったということなのではないかと思ったりする。
 片や生活をかけて出張ってきた地元の人たちに対して、わたしたちはというと、大峰山 に登れないことで特に生活が脅かされるわけでも何でもない。ただ自分たちの信じる「正 しさ」を求めている人たちの群れでしかなかった。その意味では、とても「宗教論争」的 なふるまいになってしまったし、そう見られてしまうきらいは否めない。
 結界門の前で、少しは話し合いらしきこともできたが、結局のところ、「大峰山側」の 人たちは、登らないでほしい、それでもどうしても登るというなら、我々は武力や暴力に よってそれを阻止するなどということはできない、あとは皆さんの良識にお任せすると、 それだけを言い残して、撤収してしまわれた。
 トランスのことも、ほとんどとりあってはもらえなかった。結局は見た目によって常識 的に判断するしかないという応答が聞けたのみだった。社会の方がわたしたちの性別を女 か男かのどちらかに振り分けるという、性別二分法のおなじみの図式である。結果わたし たちトランスの多くも、なんとかその枠組みにハマろうと涙ぐましい努力を強いられてし まっている。その枠組み自体を問い、ズラし、無化しようとするよりは、むしろそこにハ マろうとすることに駆り立てられてきた自分がいる。そこを突かれてしまった気がする。  結界門の前に残されたわたしたちは、後味悪く、そのあとどうするかを話し合うしかな かった。そして結局、わたしたちは、力ずくで登ることを阻止されるでもなく、あろうこ とか自分たちで登らないことを選択させられてしまったのだ。
 一方的に登るということでなく、話し合おうということなら場所をあらためて応じる余 地はあるという、区長さんの言葉を信じ、そこに希望をつなぐため、つまり「女人禁制」 の全面撤廃に向けては、今ここで登るより地元との信頼関係を大事にする方が近道である と判断して、会として意思統一して登るということはしないで、この場は解散すると決め たのである。
 会としてでなく、個人として、自分の良心に従ってあえて登ることを選択された人も あった。一部で言われているような、だまし討ちなどではない。きちんと個人として区長 さんに通告した上でとられた行動である。
 けれども、多数は、というより、このわたしは、登らないことを選択したのである。ど う考えても理不尽な線引なのだ。その線引に一片の正当性もあり得ないと、わたしは信じ ている。たとえばA型の血液の人は登っていいけれども、それ以外はダメだというのと、 どう違うというのか。女であったり男であったりすることに、本来意味などないばすだ。 そんな線引は乗り越えるべきだと、わたしの良心は叫ぶ。なのに、それを結局は自分たち の選択として、踏み越えることを思いとどまってしまったのだ。
 その意味では、わたしたちは、と言えば異論もあろう、少なくともわたしは、負けたの だと思う。気迫の違いは、悔しいけれど確かにあったと思う。わたしたちには、いや少な くともわたしには、理念的な正しさ以上に、結界門をくぐって山へ踏み込むことに、切実 な理由などなかった。
 あなたはそのことを本当に本気で願うのか。願うとすればなぜなのか。そんな宿題を持 たされて、わたしは帰ってきた。
 「宗教論争」と書いたけれども、相手が一応は宗教である以上、「宗教批判」なのだ と、とりあえずは言えるかもしれない。
 この世間に充ち満ちている性差別の現実。その現実を支えるイデオロギー装置としての 宗教。確かに現実の差別そのものではないかもしれないけれども、現実の差別を支える象 徴体系であり、それを批判することは、現実と闘うための基礎作業となり得ると、とりあ えずは言えるかもしれない。
 文化とか伝統とか言われ、それをあえて問おうとする者たちをはねつけ、現実の差別に よって甘い汁を吸っている者たちにとっては、これほど便利な思考停止の方便はないと言 えるもの。そういうものは、この社会のあちらこちらに、確かにある。それを踏み越えよ うとする者たちへの、ほとんど憎悪と言っていいような世間の反応は、逆にそれが差別の アキレス腱であることを物語っているのかもしれない。
 そういうふうに、とりあえずは言えるのかもしれない。しかし、大峰山に出かけてみた 実感から言えば、どうしてもしっくりこないものが残ってしまう。それがつまり、むしろ こちらの方こそ宗教論争的なふるまいになってしまっていた、ということなのだ。微妙な 逆転現象である。
 層が違うということなのかもしれないと思い至った。たとえばキリスト教のように、権 力と結託し、社会の中心に聖所を持ち、その中心から女性を排除しようとする宗教と、社 会の中心でなくむしろ外側へと男たちだけで出かけていくという大峰山のありようとは、 必ずしも同じものではないのかもしれないと思った。
 権力ないし、権力と結託した宗教を批判しようとするその同じセンスで大峰山と対峙し ようとして、スベってしまったというか、微妙な逆転現象が起こってしまったというか、 それは実はその層の違いを見誤っていたということなのではないだろうか。
 中沢新一の「カイエ・ソバージュ(全五巻、講談社選書メチエ)」を思い出した。男の子 が一人前の男となって成人男性の社会に迎え入れられるためのイニシエーション、男の子 だけが先輩の男たちに導かれて、女たちが取り仕切る生活の場を離れ、自然の奥深くに分 け入り、その懐に抱かれて、新たに生まれかわり、自然の深い知恵を悟って帰ってくると いう儀式は、考古学的・文化人類学的な層の深さと広がりをもったことなのだという。
 大峰山の「女人禁制」は、そういったイニシエーションのための舞台ではないかと思 う。直接その深い層から生じているということではないのかもしれないが、少なくとも 根っこのある部分はその層にまで達しているということは言えると思う。
 いや、だから残すべきだとか、そんなふうには思わない。性差別はその最も深い層から 根こそぎにされるべきだと、わたしは信じている。どんなに深い層に根ざしていようと、 差別は差別なのだ。ただ、その深さはちゃんとふまえておかないと、闘いはスベってしま う。掘り起こしたと思っても、すぐにまた生えてきてしまうヤマゴボウのようなことにな る。
 中沢は、まだ人が自然との対称性を失わずに生きていた神話的な世界を、そこへ帰れば すべてが解決する理想郷ということではないにせよ、自然との対称性を失っておごり高 ぶっている現代文明を越えて、新たな地平へと進んでいくための道しるべとして、少なく ともある種ノスタルジックには思い描いている。神話の世界では、人は自然と自らとを対 称的に置き換えて、たとえば平気で山羊になったりすることもできるのだという。だから 獲物としての山羊にも、最上級の敬意を払ったりするのだという。
 だが、彼はやはり「彼」なのだと思う。まだ対称性が保たれていたというその世界に、 すでに圧倒的な非対称が仕組まれていることに、彼はまるで気づいていないかのようであ る。いや気づいていないはずはないとは思うけれども、少なくともほとんど問題にしてい ないのである。わたしなどはむしろ驚いてしまうのだ。神話の中でさえ、人間の男にとっ ては、山羊の雄になってみる方が、人間の女になってみるよりは、ずっと容易いのかと。 で、それがたとえば、男だけで自然のただ中に出かけていくイニシエーションだったりす るのだ。はなばなしく自然の中へ出かけていく男たちだが、女たちはそれを生活の真ん中 というもう一つの自然の座から見送るのだ。そんなのは、「大峰山」なんて言わずとも、 たとえば寄り合いの座敷に座って飲み食いする男たちと、台所で動き回る女たちといった 場面とも直結している。山羊の雄よりは人間の女になってみる方が容易くて、男になりそ こねたわたしのような者には、はなはだ居心地の悪い場面だったりする。
 本来は自然のものである力を、社会の中心へと持ち帰って占有したのが、王であり国家 であると、そして対称性の思考、豊かで流動的な神話的知性を無意識の地平線へと抑圧し て、ことばを占有したのが神であり宗教であると彼は言うのだが、それよりもずっと前 に、すでに男たちは、女たちを物言わぬ無意識へと抑圧することで、男であろうとしたの だ。
 大峰山の「女人禁制」は、権力と結託した宗教を批判するセンスで対峙するものではな いかもしれない。けれども確かな実感をもって言えることは、女と非対称に男であろうと するようなイニシエーションをくぐりぬけたおっさんたちの作る社会など、ろくなもので ないということだ。
 女たちが大峰山に登ることを求めるということでなく、非対称なおっさんたちの社会を 拒み、非対称おっさん製造器としての大峰山を拒むという、それはかなり切実でかつ根源 的な獲得目標と言えるのではないだろうか。
 自然と人間との対称性でもそうであるが、トリックスターのように領域を超えて行き来 するものがその領域どうしの対称性を媒介するのであってみれば、もしかしたら、それこ そわたしたち性別越境者の存在意義かもしれないなどと思ってみたりはする。(森なお)




仏教と女人禁制 (匿名希望)


 高野山での女人禁制は、平安時代に弘法大師が定められたとされています。明治5 年に政府が太政官令で、全国の神社仏閣に女人禁制を解くよう命じました。高野山も これに呼応して、翌6年に解禁しました。ですが、当時は参拝は許可されましたが、 日帰りか一泊のみで、町家の家族であっても居住は許可されなかったのです。一般人 の居住が認められたのは同39年まで待たねばなりませんでした。日露戦争への出征で 男手が減って、店が成り立たなくなったからだといいます。これに先立ち同18年には 尼僧の居住が認められ、同19年には大学林(現高野山大学)への入学が許可されてい るとの記録があります。つまり、まず参拝、そして修行者、一般人と、徐々に解禁さ れていったわけです。

 現在は、外国人も含め、多くの尼僧が山内で修行しています。高野山大学で行われ る100日間の四度加行(真言僧になるための重要な修行)は、男女の行者が同じ大菩 提院という建物内で行います(部屋は当然別々ですが)。修行内容についても差別は ないと聞きます。また、関係者以外の立ち入りを禁止している場所はいまだに多くあ ります。たとえば専修学院は男子のみの、尼僧学院は女性だけの修行施設ですが、用 務のある関係者は男女とも施設内に入れます。山内への観光客や登山者はむしろ女性 のほうが多いぐらいで、もし女人禁制が続いていたら現在の繁栄はなかったでしょ う。飲酒、肉食、歌舞音曲等の他のタブーも解禁されたので、焼肉店やすし店、カラ オケスナックもあります。でも、風俗営業は禁止されているので、いかがわしい店は なく、しごく健全な町です。これも本山と居住者が協力して聖域を守る努力を続けて いるからです。女人解禁の結果、なくなったものといえば、麓の神谷にあった宿場 (売春も行われていた)が廃れたことぐらいでしょうか。

 複数の高野山大学教授、本山関係者に聞いてみました。その答えを総合すると、本 来の仏教の立場からは、女人禁制に根拠はないとの結論を得ました。女性は五障三従 の重い罪業があるから成仏できないという説は、現代に合致しないと既に否定されて います。もし古義を忠実に解釈したとしても、むしろ罪業が重いからこそ救われねば ならないというほうが本来の仏教の考え方でしょう。残る理由は男性僧の修行の妨げ になるということのみです。でも、この件はむしろ修行者の資質に関わることで、現 在の高野山では、なんら問題なく行われていることは前述のとおりです。また、中国 の山岳寺院で女人禁制をしている所はないとのこと。つまり、仏教が日本に入ってき て以後、日本古来の民間の習俗と結びついて女人禁制になっていったと見るべきであ ろうとのことです。

 大峯山にしても高野山と同じく、仏教教義的には同様のことがいえると思います。 あとは民間信仰との絡みです。役行者が女人禁制を定めたとされていますが、文献的 に役行者が書いた記録はありません。信仰的にはともかく歴史学的には修験道の成立 は平安時代末期から室町時代とされていますから、女人禁制は後世、人為的に作られ たことは明らかです。一般的に、元々山の神は女性をご神体としていることも多く、 古代は巫女が祈りを捧げていました。これとは別に山中に死体を捨てる風葬の風習が ありました。その山は死の国として恐れられていたのです。そこに入るのは男女とも タブーとされていました。それを破ったのが修験の徒で、各霊山の結界が解放された という説もあります。その折、修験の徒が、女人の登山を許さなかった、というわけ です。正式の僧侶でない修験者は淫戒を受けていません。従って自らの性欲を律する ことができないため、女性は修行の妨げとなったのでしょう。これは一般論で、大峯 山の場合、どのような民間信仰と結びついて女人禁制に至ったかは検証できていませ んが、少なくとも仏教教義的、歴史学的には以上のことが言えると思います。(匿名希望)





批判のまとめとそれらへの応答(試論) (森なお)


 抗議や質問のメール、論点(?)を拾い出してわたしなりにまとめてみ ました。

1.文化・伝統の破壊だ。
(1)男女平等を言うなら、互いを認め合うべきだ。
他者の信仰を踏みにじる行為だ。
テロやレイプと同じだ。
地元の人たちは、あなたたちの考え方を否定してはいないはずだ。
一方的なのはあなたたちだ。
自分たちの正義を信じ切って強引に実力行使するとは、まるでア メリカだ。
(2)外国・他宗教にも、女人禁制はあるではないか。
イスラムの寺院に肌を露わにして入るのか。
アトス山にも挑戦してみればいい。
キリスト教で男性しか司祭になれないことには文句を言わないの か。
(3)タブーの無視だ。
神殺しだ。祟りがある。
イスラムの人に豚を食え、ヒンズーの人に牛を食えと言ってるの と同じだ。
(4)女性を遠ざけるのは、自らを俗物から遠ざけることで、正当な修 行である。
断食している人の前に、ごちそうを並べるようなものだ。
2.男子禁制にも反対なのか。
(1)女性専用車両やレディースデーはどうなのか。
女子トイレや女風呂に男が入ってもいいのか。
(2)男女同権と言うなら徴兵には応じるのか。
3.なぜわざわざ登る必要があるのか。
(1)女人禁制の山があっても、日常生活に支障はないだろう。
公道とは言え、通れないと生活に支障を来すような道ではない。
(2)売名行為ではないか。
4.あの質問状はふざけている。
5.性同一性障害ということを盾にしているのではないか。
6.私有地なのに不法侵入ではないか。
7.話し合いの場をということで今回は登らないと決めたのに、なぜ無 理矢理登ったのか。
8.性同一性障害への差別やフェミニズムへの偏見を助長する行為だ。

 以上で汲むべき論点はほぼ尽きていると思います。あとはただの罵倒 であり、それこそ相手をする必要もないものだと思います。

 で、わたしなりに応答するとしたら、こんな感じでしょうか。長くな りますがご容赦を。

1.(1)
 「互いを認め合うべきだ」「それぞれの立場を尊重すべきだ」という のは、わたし自身、性的少数者への差別と取り組む中で何度となく聞か されてきた言葉です。
 男の人がスカート履いてたら気持ち悪いと感じてしまうこちらの気持 ちはどうしてくれるんだ。それでも我が儘を通すのか。
 互いに認め合って排除や差別をなくそうと言うのと、排除や差別をす る側の主張や気持ちも互いに認め合おうというのとは、決して同じでは ありません。
 文化や伝統や常識や良心などに訴える形で、差別は人を縛り続けるも のです。
 差別する側がそのことに問題を感じにくいのは、ある意味では当然か もしれませんが、差別される側もまた、理不尽な扱いを理不尽だと感じ れないまでに縛られてしまっていることがままあるものです。
 伝統と言われようが信仰と言われようが、ある人たちだけを排除する などということが正当化されるはずはありません。女性を排除すること と、たとえばA型以外の血液型の人を排除することとの間には何ら本質 的な違いはなく、そこには一片の正当性もあり得ません。
 ただし、わたしたちが本当に対峙したいのは、性差別そのものであっ て、自分たちの郷土と生活を必死に守っておられる地元の人たちではあ りません。性差別によって甘い汁を吸っている人たちは他にいます。
1.(2)
 もちろん、機会があれば挑戦したい課題ばかりです。より頑強な性差 別のもとでは、より苦しめられている女性たちがたくさんいます。それ はまず第一には、そのフィールドにいる人たちの取り組むべき課題でしょ うが、わたしたちにもし何かできることがあればそれをなしたいと思い ます。
1.(3)
 守るべきタブーは、もちろんあると思います。けれども、いわれなき 差別がタブーとなって心の深いところにくい込んでしまっていることも たくさんあって、それを作ってきたのも人間の歴史なら、それを少しず つ克服してきたのも人間の歴史です。
1.(4)
 女性は俗物だったりごちそうだったりはしません。そんな目で女性を 見てしまう男性の側の問題であり、それこそ女性差別そのものです。
2.(1)
 女性を対等な人間としてより先に、性欲の対象として見てしまう男性 たちの視線から、あるいは視線だけでなく性暴力の危険から、自分たち を守るために女性だけの場所を設けることは、性差別でなくむしろ性差 別からの自衛策です。できればない方がよい区別なのかもしれませんが、 性差別のせいで設けざるを得ない、いわば必要悪です。
 ですからそれと「女人禁制」とは、根本的に違います。性差別の表と 裏ではあっても、対称的に置き換えて考えてよいことではありません。
 「女人禁制」の方は、男性たちが自分たちの差別性の責任を女性たち になすりつけた上で排除しようとするものであり、性差別そのものであ ります。
 わたしたちは、性差別をなくせとは言っても、性差別から身を守るた めの「結界」をなくせなどと言うはずもありません。
2.(2)
 自分が男性であろうが女性であろうが、少なくともわたしは徴兵に応 じたりするつもりは、一切ございません。それはまた別の問題です。
3.(1)
 はい、その通り、わたしたちの生活が直接脅かされるものではありま せん。けれども、同じ「結界」が様々な形で実生活の中にあって、わた したちの生活を脅かしているのです。それがもっとも露骨に見える形で そこにある、という意味で取り組まざるを得ない必然性をわたしたちは 持っています。
 もちろん、わたしたちは実生活の中の「結界」を打ち破ることにより 多くのエネルギーを注いでいます。
 けれども、実生活とは一歩距離を置いた宗教的な領域こそが、様々な 差別や抑圧を正当化する機能を果たしてきたことは、歴史の中で見て取 れることです。
 それゆえにこそ、それはもっとも手強い「結界」となり得ます。今回 の行動で、わたしたちはそのことを実感させられました。
 それと取り組むことは、実生活の中の様々な「結界」の欺瞞を暴くた めの、むしろ基礎作業となり得ます。
 もちろん、それが地元の人たちの生活を脅かすことになるのは、わた したちの本意ではありません。性差別の本体は、山ではなく里にこそあ るのですから。
 女人禁制が解かれたら、もう行く値打ちがないと思ってしまう男性た ちの意識こそが、地元の人たちに恫喝をかけているのだと言えましょう。
3.(2)
 売名などのために、これほどの集中砲火を浴びるようなリスクを背負 いたくはありません。
4.
 質問状の一つ一つの項目には、それぞれ必然性があって、ふざけてい るわけでは毛頭ありません。
 性にまつわる「汚れ」の意識こそが、あの「結界門」を支え、ひいて は性差別を支えていると考えますが、それが「女人禁制」と直結してい ることには、実は様々な矛盾が潜んでいます。その矛盾を顕在化するも のとして、性的少数者は存在そのものを抑圧され否定されてきたのです。  その性的少数者が存在証明をし、その視点からいろいろな問いを発す ることで、性にまつわる「汚れ」意識そのものからの解放の可能性を探 りたかったのです。
5.
 わたしは手術によって女性の身体を手に入れ、女性として生活してい ますが、戸籍は男性です。しかし、戸籍が男性であるから登ってもいい だろう、などと主張するつもりは全くありません。
 そういうふうに何らかの意味で、性同一性障害ということを盾にした り、パスポートだと考えたり、特別扱いを求めたり、というつもりは全 くありません。
 むしろわたしは自分がたとえ「普通」の男性であったとしても、その 特権を行使して女性が登れない山に登ろうなどとは、まったく思いませ ん。そんな特権は、こちらから願い下げです。
 わたしは登れる人と登れない人が作られるその線引きに疑義を呈して いるのであって、誰が登れて誰が登れないかなどという話をしているの ではありません。
6.
 大峰山の、少なくとも登山道は私有地ではありません。村道です。  わたしは法律がどうとかは、この問題の本質ではないと考えています が、それでももし法律違反というなら、公の場所への女性の立ち入りを 禁じていることこそが憲法違反であると言うべきです。
7.
 「あとは皆さんの良心に任せる。それでも登るというならそれを、実 力で止めたりすることはできない。」と区長さんはおっしゃいました。
 話し合いにつなげるために会として登らないという決断をしましたが、 当然のことながら、個人個人が自分の良心に従って登ることを止める権 利など、わたしたちにはありません。
 登った人たちにしても、だまし討ちのようなことをしたわけではなく、 きちんと区長さんに、わたしは個人として自分の良心に従って登ります、 と申し入れをしたことを聞いています。
8.
 はじめに偏見ありきです。いつの時代も、出る杭は打たれるものです。 おとなしく従順にしていて差別がなくなるなどということは信じません。 これまでどんな差別も、無数のいわば「跳ねっ返り」たちが出る杭とな り打たれることで、跳ね返し覆してきたのです。わたしは、目立たずに いて差別され続けるよりは、差別がなくなることを願ってあえて「目障 り」な行動を起こすことを選びます。(森なお)





「大峰山」へ登る (安岐あき子)


 2005年11月3日、「大峰山(おおみねさん)」へ行った。「大峰山」と一口に言っても、山上ヶ岳、弥山、行者還岳などが総称され「大峰山」と呼ばれており、また、山上ヶ岳のみをさして「大峰山」と呼ぶ場合もあるようだ。わたし達が向かったのはこの山上ヶ岳、「女人禁制」の山だ。
 わたしは、『「大峰山」に登ろう実行委員会』の呼びかけに応えて、「大峰山」へ行くことを決めた。「女人」の基準がどういったもので何故「女人禁制」なのか問いかけたい、という趣旨に共感したからだ。「女人」とは一体誰のことをさすのだろうか。「セクシュアリティ」というものに興味を持ち自分なりに勉強を始めてから2年以上が経っていた。この間わたしは、人間の性のありようはグラデーションであることが科学的にコンセンサス(合意)を得ている、ということを学んだ。そしてこの間に出会った様々な人々との交流によって、単にグラデーションという言葉では言い表せないほどに人間の性は多様であるということを実感していた。わたしにとって、「女人」とはいったいどのような人々をさすのかという疑問は、心から共感できるものであった。
 行くからには自分が、「女人禁制」に賛成か反対か、「女人禁制」解放に賛成か反対か、自らの立場を決めたいと思った。自分の生活圏から遠く離れた山のことだ。「女人禁制」であろうがなかろうが、自分には関係が無いようにも思えた。「大峰山」が「女人禁制」であるべき理由は何だろう。「伝統」か、「宗教」か、「信仰」か。思いあたるものは全て説得力に欠けているように感じられた。逆に、「女人禁制」でない状態であるべき理由も、この時のわたしには見つけることができなかった。ならば、「女人禁制」でない状態であったほうが、よりフェア(公平)であるとわたしは考えた。「女人」以外の人たちが受けることのできる「大峰山」という自然物からの恩恵を、「女人」であるという理由だけで他に確たる理由なく受けられないというのは、フェアではないように感じられた。
 当日、わたし達は洞川(どろがわ)温泉に集合し、「女人結界門」へ向かった。その途中で「女人結界門」を通り抜けることとなった。こう書くと読んでいる方はきっと混乱されることだろう。わたし達が通り抜けた「女人結界門」は昔の「女人結界門」であった。つまり、1970年に「女人禁制」の区域は縮小されており、1970年以前にはわたし達が通り抜けた「女人結界門」が結界門としての役割を果たしていたのだ。そんな過去の「女人結界門」を横目に見ながら、わたし達は現在の「女人結界門」へと向かった。呼びかけ人の方からは、「暴力的に進入することはせず、(集まってくださっている地元の方々と)お話がしたい。女人禁制の基準と理由を教えていただきたい」とお話があった。
 清浄大橋を渡った先にある「女人結界門」(現在の「女人結界門」)の前にはたくさんの人々が集まっていた。地元の洞川区に住む人々が「女人結界」を破ろうとする者を止めようと集まっていたのだ。大峰山寺を輪番で管理している5つの護持院(本山修験宗の喜蔵院、真言宗醍醐派の龍泉寺、金峰山修験本宗の東南院と桜本坊、竹林院)の方、護持院と同様に実行委員会が質問状を送付した真言宗醍醐派の醍醐寺、本山修験宗の聖護院、金峰山修験本宗の金峰山寺の方が行事の都合で来られないということだった。
 呼びかけ人の方から洞川区の区長をされている方へ質問状が手渡された。区長の方からは、「登るかどうかはみなさんの心の判断にゆだねます。区、区会の立場、公の立場として女人禁制を支持しています。男か女は、良心にしたがって、一般常識にしたがって判断してください。自分で自分を男と思っていたら登っていいです」というお話があった。また、集まった地元の方々は「登らないでください」「わたし達にも生活があるんです」「そっとしておいてください」「これは差別じゃないんです」と口々におっしゃった。そして地元の方々は「登らないでください、お願いします」という言葉を繰り返しながら、わたし達が少し前に渡ってきた清浄大橋を逆方向に渡って帰っていった。「女人結界門」の前で地元の方々と話し合いをすることはできなかった。区長をされている方が残ってお話をしてくださった。また、区長の方が帰られた後、隣の天川区に住んでいて「大峰山」の「女人結界」について勉強しているという方ともお話することができた。しばらくしてその方も、知人らしき人に「親御さんが心配しているから」と促されて帰ってしまった。
 時折登山者が通っていくほかには誰もいなくなった「女人結界門」前で、残されたわたし達参加者は呼びかけ人の方共々話し合った。長年「大峰山」の「女人禁制」解放に向けて取り組んでいる方からは、登らないでほしいという訴えがあった。また、ここで登ってしまうと今後話し合いの場を設けるのに障害となるのではないか、という意見も聞かれた。議論の後、登るか登らないかは各自の判断に委ねて解散することとなった。「問題提起をしたいので登ります。区長さんにもそうお伝えしました」という方もいた。
 解散前、わたし達は「女人結界門」のすぐそばまで行った。間近で見た「女人結界門」から、わたしは「1300年の歴史」を感じることができなかった。その原因はわたしの感性の未熟さにあるのだろう。35年間風雨にさらされ続けてきたであろう「女人結界門」に、わたしは真新しさすら感じた。そしてその結界門をくぐることなく、清浄大橋を渡り、来たときと同じように過去の「女人結界門」を通り抜けて洞川温泉へ戻った。
 観楓のイベントでにぎわう洞川温泉で、地元の方と少しだけ立ち話をすることができた。大峰山のふもとには、修行者以外に登山客も相手に仕事をして生計を立てている方が多くいらっしゃる。世界遺産に登録されている「大峰山」の「女人禁制」を解放することで、今まで登ることができなかった登山愛好家が世界中から訪れ、その人たちが落としていくお金で地区は潤うかもしれない。その一方で、「大峰山」が「女人禁制」であるという希少価値も含めて魅力を感じて集まっていた登山客が逃げてしまうという可能性もある。「どっちに転ぶかわからないから開放してほしくない」とはっきりおっしゃる方もいた。
 後日、報道されたわたし達の行動に対して、様々な批判が浴びせられた。その中には、「突然一方的に質問状を送りつけるとは失礼ではないか」という主旨の非難も見られた。「大峰山」の「女人禁制」開放に関してはこれまで様々な団体がそれぞれに地道な取り組みを積み重ねてきている。「女人禁制」開放を目指す動きは、「突然」のものでも「一方的」なものでもない。しかし、これらの団体による長年の取り組みもわたし達のそれも、それほど大きな力を持っているわけではないようだ。「大峰山」の「女人禁制」は、三本山、5つの護持院、地元の洞川区、スポンサー的存在である役講の計10票が「解放」に揃わない限り解かれることはないという。わたし達はこの十者が内側から「女人禁制」を解いていくための素材にしかなりえない。素材なら多いほうが、そして多様なほうがよいだろうとわたしは思う。
「多様」ということに関して、「日頃セクシュアリティの多様性を訴えている人達が、なぜ宗教の多様性は認められないのか」という批判も目にした。わたしには何か問題がすり替えられているように感じられた。セクシュアリティの多様性を訴えている人達は、他者の権利を侵害するセクシュアリティのありようまでをも、多様性として認めよと訴えるだろうか。例えば、強姦を実行するという行為をセクシュアリティの多様性のあらわれの一つとして認めよ、と訴える人にわたしは出会ったことがない。「大峰山」の登山道は、「女人結界門」の向こうも公道である。公道である以上、誰にも通る権利があるのではないだろうか。「女人結界門」をくぐることが許されていない人達の権利は侵害されている。このことは今のわたしが「大峰山」の「女人禁制」解放に賛成する大きな理由の一つである。
 近い将来、「大峰山」の「女人禁制」が解かれる日まで、解放へ向けての多様な素材の一つとして、「女人」の基準と「禁制」の理由を問うこの『「大峰山」に登ろう実行委員会』の取り組みがよりよいものへと変化しながら続いていくことを願っている。(安岐あき子)




「大峰山」に登ろう実行委員会ホームページ >参加者からの寄稿文





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